山村慎一郎さま

山村慎一郎さま

海の精大島製塩場 来訪日:2010.2.2

顔を見るだけで、体のよくないところが分かる! マクロビオティックの食事指導者・山村慎一郎先生。 自然食品店を経営(現在は閉店)するかたわら、地元・盛岡の人たちにもっと元気になってもらおうと、著名なマクロビオティック指導者の食養講座や合宿の開催に力を入れてこられました。

その後、アメリカのクシ・インスティチュートで本格的にマクロビオティックを学び、自らの子育てや自然食品店での経験を生かし、現在は望診法を中心とした健康指導を全国でされています。

食材で一番大事なのは、「塩!」とおっしゃる山村先生。30数年前から「海の精」をご愛用いただいているとのこと。
そんな山村先生が、はじめて大島製塩場にいらっしゃいました。

茶色いごはんに変わった日

若いころは、あんドーナッツとコーラ、ソフトクリームが大好きでした。しょうが焼きなどの脂も好きで、週に5kgは肉を食べていたほどです。脂に合うのはやっぱりコーラで、毎日2リットルも飲んでいました。そんなひどい食生活を送っていた頃は体重が90kgもあり、周りには体格がいいと褒められたりしたものです。

けれど、ささいなことですぐにイライラはするし、あの頃は毎日疲れ果てていた気がします。

それがある日突然、茶色いごはんになってしまったんです! 合成洗剤を使うのはやめよう、自然なものを食べようという時代が始まった頃です。奥さんに有無をいわさず玄米食にされてしまったのです。私を見るに見かねて、ひそかに画策していたのだと思います。まだ結婚前だし、イヤだと言ったら逃げられてしまうと思い、玄米まずいよなぁと思いながら、がまんして食べていたのを今でも覚えています。

疲れたときに甘いもの!はウソ

23、4歳から玄米を食べはじめたものの、好物はやめられず、まだまだ甘いものも肉も食べていました。
それから5、6年の月日が経ち、一人目の子どもが生まれることになりました。女房は子ども育てにかなりストイックなのに、自分が適当なものを食べるわけにはいきません。それに、ちゃんとした人生を送りたいと思って、自分もここでバシッとしようと決意したのです。

玄米を食べる、間食はしない、あとは女房が作ったものを食べるだけ。1ヵ月半、たったそれだけで、体重がなんと25kgも落ちたのです。肉体労働をしていたのもありますが、玄米菜食になった瞬間、プシューっと体が小さくなったようでした。それまでの自分は、“世を忍ぶ仮の姿”であったのだと思います。
そしてすぐに、マクロビオティックの創始者である桜沢如一先生の本をあらためて読みなおしました。なかでも、「食べ物で運命が変わるんだよ!」という言葉にすごくひかれ、それからどんどんマクロビオティックの世界に引き込まれていったのです。

玄米菜食に変えてすごくやせる人がいますけれど、あれは、余分なもので仮の体重を作っていただけ。それだけ健康状態が悪いものだったのが、はぎ取られただけなのです。
私自身、玄米菜食には人を変えるすごいパワーがあると確信しています。また、砂糖、肉を食べていると老けるのが早いということ。20代の若いころ同級生に会っても、「先生ですか?」と言われるほどだったんですから。(笑)

30歳、ゼロからのスタート

そして、ちょうど30歳の時に盛岡で自然食品店を開きました。何の仕事をしようかなと考えたときに、“毒”に関係するものだけはやりたくないっていう思いがあって、そうすると、自然食品しかなかったんです。子どもが生まれ、家を建て、借金を背負って店を開き…。

本当にゼロからのスタートでした。

お客さんもゼロだから、こわくてお店が開けられませんでした。ただ、何とかなるさーという思いと、今に見てろーという気持ちでやっていたので、苦労はなく、毎日が楽しかったです。

当時は大森英桜先生がマクロビオティックの第一人者でしたが、盛岡に住む私はなかなか東京まで行って学ぶことが難しかったので、大森先生が指導する合宿に参加したり、マクロビオティック月刊誌やカセットテープで勉強していました。暗記するまで読んだり聞いたりしたものです。とにかく吸収、吸収の時代でした。

また、「自然育児相談所」を開設していた山西みな子先生をお呼びして、毎月「子育て講座」も開きました。先生は、「赤ちゃんが正しい食べ物を教えてくれているよ。」といつもおっしゃっていました。今まで本やテープで覚えた知識を自分の目で確かめることになったわけです。

子どもたちは食べ物のもつエネルギーを、はっきり教えてくれました。甘いもの、くだものなどを食べることによって、感情や意識、行動までもが変わってしまいます。それを目の当たりにし、食べ物が及ぼす影響を確信することができたのです。

50歳、アメリカへ行く

無農薬・無添加。そういうものが普通に買える時代を目指して、商売を始めました。それがもうどんどん広がってきて、デパートで手に入るようにまでなりました。買い方も商店で買う時代から、すべてを一ヶ所で買う時代へと変化し、自分も時代に見合った仕事に切り替えなければと思いました。
マクロビオティックで病気が治る例はたくさんありましたが、私は、病気を治すためにマクロビオティックをやっているわけではありません。もっと深いものがあるような気がしていました。

人に喜んでもらえるのが、私の原点。

だから、どうやったらもっと人に喜んでもらえるのかを考えるために、クシ・インスティチュートで本格的にマクロビオティックを学ぼうと決めたのです。もともとマクロビオティックをやっていたおかげで、英語でも授業内容はだいたい分かったものの、はじめの2週間は英語なんてまったく聞き取れませんでした。
もちろん話もできないし、もうこのまま帰ろうかと思うくらい。でも、どの面さげて帰るんだーと自分を奮い起こし、2ヶ月かかってやっと耳が慣れるまでなりました。

私が惹かれた「望診法」

料理、指圧の授業が一番長かったものの、私は理論の授業で学ぶ「望診法」にひかれ、本を買いあさりました。「望診法」は、マクロビオティックのベースとなっている理論で、顔や全身に現れる兆候を見ることによって、弱っている臓器と多すぎる食べ物が分かるというもの。それは、今まで子どもの体調を見るために、ごく自然にやってきたことでした。
これはもっと知っていなければ、いや、くわしく知っていた方がいいと感じました。そうすれば、病気は悪くならないで手当てすることもできるし、病院の手を借りなくても済むと思ったのです。

そして帰国後、体や心の病気の方たちの食事指導をするために、「ゴーシュ研究所」を開きました。やっと、子育ての経験、自然食品店時代の経験、そして新たに学んだことを実践することになったのです。
50歳にして本格的な病気指導をスタートさせる私に、「秋咲く花もあるよ。これから咲く花もあるよ」と娘が言ってくれたのがすごく印象に残っています。

ちゃんとした海の塩「海の精」

今回、山村先生が一番感動された「ほししお」の製造現場です。成分ごとにだんだんと出来る層を、丁寧に攪拌しながら結晶させていきます。

塩づくりは、想像していたよりもずっと大変だということが分かりました。なかでも「ほししお」には感動しました。成分ごとにだんだんと層ができ、それを丁寧に攪拌しながら結晶させていくなんて考えてもいませんでした。
天日塩というと、干してしまえば出来るのかと思っていたら、手間も時間もあんなにかかるとは、本当に目からウロコです。
「海は汚染されているかもしれないでしょ?」と言って、岩塩を使う方がいらっしゃいます。でも、伊豆大島のキレイな海を見て、それは違うということを実感しました。そして、自分たちがもっと知らせなくてはいけないとつくづく思いました。ちゃんとしたものを作っていることがわかったからこそ、それを見た人が本物の塩を伝えていかなければなりません。

時代に流されない本物は、とても地味。だけど、60歳からは、“本物を伝えていく”ということをしたいと思っています。健康指導家は医者でもない、栄養士でもない。けれど保証がない分、うんと頑張ろうとしています。

島の周りを太平洋からの黒潮の速い流れで洗われているため、清麗な海水です。

山村慎一郎(やまむら しんいちろう)プロフィール

1949年、岩手県生まれ。マクロビオティックの食事指導者。
盛岡で自然食品店を経営(現在は閉店)するかたわら、大森英桜氏の議事録などで食養の基礎を学び、山西みな子氏の子育て講座を主催して、実践的な食事指導を習得する。1999年、アメリカのクシ・インスティチュートで本格的にマクロビオティックを学び、陰陽五行と望診法に出会う。帰国後「ゴーシュ研究所」を開き、望診法をベースにした食事指導を始める。
現在、日本CI協会や正食協会のほか、全国の食養講座で講師として活躍し、がんをはじめとする重病患者への食事と手当法の指導、半断食合宿の指導なども行っている。

著書
『週3日だけ!のヤセる「食べグセ」ダイエット』(青春文庫)
『美人のレシピ―マクロビオティック望診法』(洋泉社)
『美人のレシピ2―パワフルレシピで「お悩み解決」編』(洋泉社)
『自分の顔を見るのが好きな人は病気になりにくい』(サンマーク出版)

インタビュアー:インタビュアー:下田ちひろ(海の精)