桜井三恵子さま

桜井三恵子さま

海の精大島製塩場 来訪日:2011.11.7

タイ・オランダ等海外での生活経験を生かし、創作マクロビオティック料理をご紹介くださる桜井三恵子先生。
中高生の頃、体育は全部見学。修学旅行にも行けなかったほどの虚弱体質だった由。そこで栄養学を勉強すれば健康になれるのではないかと思い、食物栄養学を専攻して大学院をご修了。しかし、栄養学に基づく食生活では先生ご自身もご家族もいまひとつ元気にならず、栄養学を徹底的に考え直すことにした時にであったのが玄米菜食でした。
徐々に食事を切り替えていくと、わずか3ヶ月で先生もご家族も目に見えて「元気になった」と、実感できたそうです。

先生のご主人は、お仕事でアジアを中心に各地に長期滞在され、先生も同行し、様々な風土にあった食生活を経験するうちに次第に“マクロビオティック”に導かれていきました。そこには、これまで疑問に感じてきた欧米栄養学では得られない本質的な正しさがあると思われたのです。それでも、自己流の玄米菜食では限界があり、正式にマクロビオティックを学ばれ、もう20年近くになります。

17年ほど前からリマ・クッキングスクールで講師をされています。

今回は、その桜井三恵子先生がリマ・クッキングスクール講師の檜山扶佐子先生とご一緒に大島製塩場を見学されました。

味へのこだわり

前からパンフレットで「海の精」の作り方は勉強していました。「海の精」の作り方は、あらまし分かっているつもりでしたが、実際に直接見学させていただくと、紙上の知識と違って、ホンモノをみたという感激にひたることができました。

「海の精」が、長く自然塩の普及に運動体として真面目に取り組んでこられた経緯は知っていましたが、それがおしつけがましい理念的なものではなく、なによりも作られた塩の「味」について、ここまでこだわってこられたのかというのが最初の驚きです。

それは舌にこびるという意味の味ではなく、塩を通じて身体のミネラル成分が、いつももっとも適量であることを目標とし、結果として身体にとって、もっともおいしい「味」になるのだという事実です。装置もほとんど手作りなのに、身体のミネラルの安定のために徹底して塩の品質が管理されます。いったい“海の精”は、科学者が作り出したものなのでしょうか、職人がこしらえたものなのでしょうか。いえ、職人の心と科学者の頭脳をもった人々の熱意の結晶なのです。

それこそが心の底から安心していただける「安全食品」というものなのです。自分が心から信頼する食品でなくて、どうして人に薦められるでしょうか。「海の精」は、私達、身体をなによりも思う料理研究家が薦められる塩なのです。今までもそう思って使ってきましたが、改めてその思いを深々と感じいりました。

濃縮した海水を蒸気式平釜で炊いて「海の精 あらしお」ができます。

「海の精」の、もう一つすばらしい製品に「豆味噌」があります。普通の味噌はある期間を経ると酸化し、すっぱみが強くなります。それが豆味噌は三年も熟成して、初めてあの独特のコクをもったおいしさがでるのです。そのカギは、実は“お塩”にあります。「海の精」だから、長期熟成によって、普通の塩では出せない旨みを引き出すことができるのです。

昔、リマ・クッキングスクールに入学してまもなく料理教室で食べた海の精の「豆味噌」で作ったてっか味噌に強く感激したことがあります。リマ・クッキングスクールのてっか味噌を食べると胸の中心から徐々に手足の先まで温まっていくのです。まさに「食養」とはこのことだと思いました。もう、すぐに「食養豆味噌」のおいしさのとりこになりました。

間違った減塩社会

ほとんどのお医者さまは、塩の摂りすぎは良くないと言われます。でも塩を摂らなかった時の害についてはほとんど教えてくれません。塩はすべての生命の維持体です。間違った減塩をすると、命を落とすことがあります。

マクロビオティックでは、「陰と陽」(陰=ゆるめる、陽=しめる)の原理にもとづいて身体をしめる、ゆるめる食品ということをよく言います。身体はいつも適度にしめる、ゆるめることを繰り返してはじめて健康なリズムを保つことができます。しめる食材食品の代表は動物性食品と塩です。しかし動物性食品の摂取は、しめるという効果以外に、特に血液などによくない結果をもたらします。
身体をしめるもとは、正しい命のもとである“塩”がなによりです。塩がなければ、細胞も筋肉もゆるんでしまい、心臓がゆっくり動悸したり、ひどい便秘になったりします。何か物を持とうとしても、力が入らず落としたり、ひざがカクンと折れ曲がるようになるのは、実は極端な減塩によって、身体がゆるんだ結果であることが多いのです。

減塩運動が始まったとき、私は大学生でした。東北地方では、塩辛いお漬物など塩気のきいた食物をたくさん食べているので、血管系の病気が多いと教えられました。今思えば、病気の原因を塩にだけ持って行ったのです。ご存じのように東北の冬は寒く、塩をしっかり摂って体をしめ、体に力が入いるようにしています。そうでなければ、大切な農作業をしていても疲れやすく、すぐに息切れしてしまうでしょう。
だから塩を適度に摂ることは風土が求めることなのです。風土のことをまったく考えずに、ただ塩が悪いという結果を導き出すために統計調査がなされ、塩が多ければ、血管系の病気が多いという結論を強引にだした感じがしました。調査の仕方や統計の取り方はいくらでも操作できるものですから。

実はほんとうにおいしい料理を食べていたら、塩の摂りすぎということにはなりません。塩が過剰であれば、しょっぱすぎるし、喉が渇きます。決しておいしい味ではありません。だからおいしさを追求すれば、塩は自然に身体にもっとも適した量になっていくのです。このように塩類バランスのとれた塩、つまり体液の塩分濃度に近い濃度に塩を加えた料理であれば、食べたあとに水分を過剰に求めることはありません。
成人病のほとんどは食べ過ぎ、そして過剰な動物性油脂の摂取の結果、よくいわれるように血液がドロドロ状態になることに始まります。塩の摂りすぎだけで高血圧症になることはほとんどないのです。塩が悪いのではありません。身体全体の構成を問題にすべきなのです。それなのに塩を摂らなければすべて解決のような、行き過ぎた方向に舵をとらされたように思います。

大事なことは、ただ盲目的に減塩をするのではなく、どんな塩を摂取したらいいのか、摂取する塩の質こそが問題なのです。

「海の精 ほししお」を作るガラス温室にて。

虚弱体質で片づけられた子ども時代

中学高校時代、体育の授業は全部見学でした。高熱ではなくいつも微熱。なんかちょっと疲れたなと思って熱を測ると、37度2、3分のけだるい感じ。 どこが悪いのかと検査ばかりしていたので、身体には本当注射器の痕が残るほど。何度調べても原因は分からず、いわゆる「虚弱体質」で片づけられるだけでした。

今ではその原因が何だったのかは分かっています。要は「おいしいものと果物の食べ過ぎ」です。もともとお砂糖は嫌いだったのもあって、甘いものというと果物ばかり食べていたのです。
時代としてはまだ果物は高い時代でしたが、母親はカロリー栄養学にとらわれて、“果物=ビタミン”これで丈夫になるだろうということで、いっぱい買って食べさせてくれていたのです。食にも気を遣ってくれていたわけだけど、それは現代栄養学にとらわれたもの…。
その反動からか、梅干とか味噌とかおにぎりと一緒によく食べていました。冷えた身体をそうやって自然と暖めようとしていたのが分かります。

現代栄養学でももうちょっと勉強していったら、私も健康になれるかもしれない…。もっと“食”を勉強して、健康ってことを考えてみたいと思い、大学は家政学部に進みました。お料理を勉強する方ではない、実験的・分析的な見方を勉強する方です。

学生結婚がきっかけで元気に

大学時代は、ネズミを飼って、病気にして、解剖して、血液検査したり、病院に行ってすい臓の悪い人の血液をもらってきて、波形を調べて、食べ物によってこうなっていくって検証していたり、分析と検証の毎日でした。
結局大学院にも進んで、修士までは卒業しました。学生結婚して、子どもも生まれたりしたので、3年かかりましたけれど。

結婚してからというもの、少し元気になりました。なんといっても学生結婚でしたから、お金がありません。まず、いつも食べていた果物が買えませんでした。あとは、少ない食費でやるためにも、腹もちのいい玄米を食べていたのが良かったのかなと思っています。玄米は、栄養学の観点からも、トータルのバランスがとれているので、たびたび食べていました。

けれど、栄養学的な食生活ではもうひとつ元気になりませんでした。果物を食べていなくたって、根本的な体質が治っているわけではなかったのです。それに、生まれてきた子供がアレルギーだったのです。栄養学をしっかりやっているにも関わらず、どうして自分の子どもはこうなったのか。そこで、もう一度栄養学を洗い直すことにしました。

すると、そもそも現代栄養学は人のためでなく、動物を大きくしようと経済的な理由で始まったものだとわかったのです。日本の学問でもありませんでした。気候風土がまったく違う日本で、そのまま鵜呑みにしていいのかなって…。少しずつ食事を変えていき、玄米食に全部きりかえてから3ヶ月ほど経ったころ、子どもがよくなってきたのです。同時に私も、息切れしていたのがなくなって、「元気になってきたぞ」っていうのが薄紙をはぐように分かりました。

マクロビオティックに導かれるように

1978年、夫の仕事について行ったタイから始まり、ベトナム、インドネシア、オランダ等各国を廻りました。 歴史家である夫は、その土地を部分でとらえるのではなく、時代の流れやその土地に住む人の思いまで全体としてみようとする、歴史を一歩も二歩も踏み超えた研究をしています。いまから思えば、夫が早い段階で一物全体とか、身土不二という考えをよく理解したのは、自分の学問と通ずるところがあったのでしょう。

現地での暮らしを通して、その土地やお手伝いさんから、多くの食文化を学びました。タイ米のおいしい炊き方や、身体を冷やす食べ物、雨季に食べない方がいいもの、煮て食べなきゃいけないものなど、その土地にいたからこそ身につけられたことがたくさんありました。

そうして、なんとなく周りからマクロビオティックに導かれていったものの、自己流の10年くらいは、なかなか体質に合わせた食生活をするのが難しかったです。そんなとき夫が、「確かにうちは健康になった。息子のアレルギー体質が治った。あなたも元気になった。それは事実。でもこれが万人に向くかどうかかはわからない。あなたは栄養学を勉強したんだから、それを検証する必要がある。」と言われました。それがきっかけとなり、“マクロビオティック”という形を、しっかりと習うことにしました。

夫は、料理教室へ行くだけでこんなに違うのかとびっくりしたそうです。今は、「はっきり言ってどこで食べるよりもおうちで食べた方がおいしい。僕は慣らされたのかな」って言っていますが、私の腕が上がったんだと思っています(笑)。

いろいろな国のエッセンス

卒業後、そのままリマ・クッキングスクールに勤めることになりました。そこでの私の役割はなんなのか考えました。これまで、栄養学的な見方とマクロビオティックを比較・検討して、やっぱりマクロビオティックが素晴らしいと伝える人が今まであまりいませんでした。「陰陽」や「無双原理」をいくら語っても、その意味がほんとうにわかるまでに、長い時間がかかるのです。
なによりも先に、いままでの栄養学的な構図に疑問を思ってもらわないといけません。それには、これまでの栄養学がなぜ間違っているのか、なぜ、マクロの考えが正しいのか。“牛乳がいい”、“減塩がいい”、“タンパク質が必要”など、現代の栄養学を知ってしまった人たちに、なぜ牛乳だけでは意味がないのか、なぜ極端な減塩は身体に悪いのか、動物性タンパク質の見境のない摂取がなにをもたらすのか、現代の栄養学の限界を教え、その上で、全体をみようとするマクロビオティック料理がなぜ、人の体にもっとも適合したものなのかを教えています。

また、じっくり教わりたい人のために、2005年から自分でも料理教室もやっています。 マクロビオティックは時間がかかるって思われていますが、ごはんさえ炊いてしまえば、そんなに時間がかからないで済むものもあります。一度作っておいて、いかにそれを回していくか。いわゆる家庭クラスです。 もうひとつが、マクロビオティックのフルコースを教える創作クラス。イタリア料理も、ロシア料理も、中国料理だって、マクロビオティックで、いろんな国の料理を楽しむことができます。無理に外国のものを買うのではなく、ちょっとした香辛料の使い方がポイント。いろんな国のエッセンスをプラスして、いかようにでも作りだせるものなのです。

10年くらい自分がマクロビオティックの世界にふれないで試行錯誤していたのが、今活きているのかもしれません。自分が悩んでいたことをそのままお話しできているから、普通の人にもわかってもらえるのだと思います。 これからも「いのち」を持っているものをいただくこと、そこに元気な命がきちっとあることを伝えていきたいです。

桜井三恵子(さくらい みえこ)プロフィール

リマ・クッキングスクール中級主任講師。家政学修士食物栄養学専攻。家族とタイ、ベトナム、インドネシア、オランダ等に駐在し、各国の風土、食文化に多くを学ぶ。食べ物が持つ特性、自然治癒力をどう生かして料理するかをテーマに、マクロビオティックの普及に努めている。

インタビュアー:下田ちひろ(海の精)