辻義一さま

辻義一さま

海の精大島製塩場 来訪日:2010.11.8

明治時代から伝わる懐石料理「辻留」。

現在、三代目主人の辻義一さん。
初代 辻留次郎氏が裏千家の家元に手ほどきを受け、京都に店を構えたのがはじまり。茶道裏千家より出入りを許される、懐石料理の名門です。
そして、三代目をつとめる辻義一さんは、かの有名な芸術家・北大路魯山人氏のもとで修業をした経歴の持ち主であり、魯山人の哲学“素材の持ち味を生かせ”という言葉を常に肝に銘じて今日まで来られました。

1971年塩田が全廃されてからは、塩田時代の塩を復活させようという運動のなかで、お父様である辻嘉一氏とともに、塩の大事さについて幾度となく講演していただきました。

「海の精」が塩。そうおっしゃる辻義一さんが、大島製塩場にはじめていらっしゃいました。

日本料理の“六つの味”

味には、五つの味「辛(しん)・酸(さん)・鹹(かん)・苦(く)・甘(かん)」があり、もうひと味“旨味”が加わって、いわゆる日本料理にあるとされる六つの味になります。

辛。わさびとか生姜とかのピリッと刺激する辛さ。
酸。文字通りの酸っぱさで食酢のほか、柚子などのかんきつ系の酸味。
鹹。塩辛さのこと。塩を中心として、醤油や味噌も含みます。
苦。苦いからまずいということではなく、素材の持っているアクが個性になるもの。
甘。砂糖とかみりんの他に、新鮮な素材自身が持っている甘さ。

日本料理の場合、味付けは、素材の持ち味をどのように生かすかにかかってきます。味を作り出していくのではなく、一つ一つの持ち味を引き出すために、調味料を使います。

なかでも味の中心になるのは、「塩」。

塩によって、全然違ってきます。私は、市販されている塩化ナトリウム99%以上の精製した塩は、塩でないと思っています。

「海の精」が塩です。

味の面から、どうして化学塩が悪いかと言うと、味が直線的なのです。直線的に塩辛さが来るから、塩の味はよく分かるけれど、そればっかり前に出てしまう。日本料理には、自然な塩の“丸み”が必要なのです。

実際に塩だけをなめてもよくわからないけれど、塩味は薄い味でこそ分かるもの。日本料理の中ではお吸い物が一番淡い味ですが、それで比べると、精製した塩と「海の精」のような自然な味の塩との違いがよく分かります

お湯に溶かしただけでもわかるから、うそだと思うなら一度試してみたらよい。

北大路魯山人のところに修行へ

私は中学を出てすぐに料理のほうに行きましたから、23歳の時にはもう10年くらい料理をしていました。生意気な青年だったから、どこか勉強しに行くにも、下手な料理屋に行ってもしょうがない、どうせ行くなら一番うるさい人のところに行こうと思っていました。
当時、北大路魯山人先生のところは、若い人で3日と持った人はいないと言われているほど。皆すぐに逃げて帰ってしまったそうです。そんな話を聞いて、先生のところに修行へ行くことに決めました。

私が行くまでは、かまどをしたり、洗い物をしたりするお手伝いさんがいて、肝心なところは先生が自分で手を下していたみたいです。
朝は、ごはんと味噌汁と漬物。あとは煮物とか、ほうれん草のごま和えとか、そんなものです。ただ、朝ごはんを召し上がる時に、先生は必ずビールをくいっと飲まれる。それにはびっくりしました。

朝ごはんを食べ終わるころ、私が先生のそばに行くと、決まって「昼は何にしよう。晩はあれにしよう」と言うのです。
そして、冷蔵庫に入っている食材を書いた黒板を見て、「あれせえ、こうせえ」というご指示があって、私が作る毎日でした。先生は、本当に食べることに執念を燃やした人だと思います。

魯山人との一年間

日本料理では、“旨味”という味わいがあり、これを大事にします。その旨味は、素材の持ち味を生かすことからはじまります。先生に教わった“持ち味を生かすこと”がいかに大切かは、祖父や父から教わった懐石料理にも通じること。先生のこの言葉をつねに肝に銘じてきました。

厳しいこともありましたが、旅行に行く時にはついて来いと言ってくださったり、「わからないことがあったら何でも聞け」とおっしゃってくださったり。夕食後はテレビを見ながら、ビールの手ほどきも受けるほど。先生には本当にかわいがってもらいました。

東京の大丸に「辻留」の新しいお店を作ることになったので、一年足らずで先生のところを辞めることになりましたが、その後、先生は東京に来る時にはしょっちゅうお店に見えました。京都やら大阪やらどこかに行く前にも必ずいらっしゃって、「今度大阪行くんだけどな」などと言ってくるのです。
私についてこいって言いたいのがわかるのですが、お店もあるから、決まって「お気をつけて」って返していました。けれど、私が「お供させてください」って言うまで、ずーっと「今度大阪行くんだけどな」と繰り返すのです。本当に子どもみたいな人でした。

魯山人の哲学“素材の持ち味を生かせ”

世の中でまずいものは、書家の書と、料理屋の料理。
どうしてかと言うと、それらは本来、人間が現われるもの。書というのは書いたその人が現われないと面白くないのに、書家の書は技巧に走りすぎている。人間が出ていません。子どもの書なんかはだから面白い。
そして、料理屋の料理。今でもそういう傾向があるのは分かります。料理屋は旬のものではない、走りを使う。それから、変に手をかけすぎてしまう。だから、持ち味を生かすということとは違ってしまっているのです。

懐石料理の三つの柱は、“旬の味を使う”、“素材の持ち味を生かす”、あとは“親切心、心配り”。
料理において親切心とはどういうことかと言うと、60、70歳の人が食べていたら、ひょっとしたらあの方は歯が悪いのではないかと思ってあげる。思ってあげるだけではだめで、そう思ったなら、軟らかいものをさしあげたり、硬いものだったら隠し包丁を入れてあげて、噛み切れるようにしてあげる。お酒を飲む人だったら、少しずつお料理を出すなどいろいろとあります。
お料理を出すということは、必ず相手があってのこと。まず相手のことをよく知るということが大切なのです。

味の面から、ずっと「海の精」

海水を濃縮するネット架流下式塩田の前で

今日は、製塩場のすべてに感心しました。シャワーみたいな塩田と、天日海塩(「海の精 ほししお」)を作る温室などが特に大変であることが伝わってきました。父の代から声をあげて海の精のような塩の大事さを繰り返し言ってきましたが、大島に来るのははじめてだったので、とても良かったと思います。

昭和47年以降、日本の風景からは塩田が消え、イオン交換膜で作る塩化ナトリウム99%以上の化学塩に切り替わりました。すると、お吸い物はただの塩汁に。魚も化学塩では浸透する力が弱いので、身も締まりません。
また、漬物にしても、発酵がスムーズにいかず、香りよくおいしく仕上がらないのです。本来、塩化ナトリウム以外の無機物があってこそ、それが旨みとも、味わいの丸みともなるのでしょう。それなのに、塩田が廃止されてからというもの、味がもう一つになってしまったのです。

当時、塩田時代の昔ながらの塩を復活しようという運動のなかで、それに賛同する学者さんやお医者さんはけっこういました。けれど、味の違いを言う人がいなかった。それで、塩の大事さを唱えている料理人がいるという噂を聞きつけた谷さん(谷克彦氏。海の精の母体になった食用塩調査会の研究員)に駆り出されて、よく講演したものです。それから、昔の塩を復活させようという、海の精との付き合いが始まったのです。

真の味、これ淡い。

辻留では月に一回、料理塾を開いています。

その料理塾では、「おいしいものには、いい塩を使いなさい」と一番に言っています。
そして、振り塩は“おまじないをしながら、祈るような気持ちでー”と。私は塩を振る時は、手のひらの上で塩をおどらせて、指の間から塩を振ります。一度にあんまり持ったら、ワーッと出てしまうから、少しずつ持つのがポイントです。

弟子は、新聞紙を真っ黒に塗って、塩の振り方を練習します。魚とかに塩を振っても、上から見たんでは、かかっている状態がわかりません。けれど、横から見ると塩の状態がよく見えます。横から見てチェックすれば、均一に塩がかかっているかどうか、すぐに判断できるのです。

振り塩は“おまじないをしながら、祈るような気持ちで―”。塩の振り方を実演していただけました。

また、素材はいいものを選びましょう。家庭でもお買い物の時から料理は始まっています。人それぞれ味の好みはあるけれど、鮮度がいい、素材のいいものだったら、やっぱり薄味にした方が素材の持ち味が生きます。イカ本来の甘さを出すにも、いい塩さえ使えば十分です。そこに砂糖を使ってしまうと、本来の味を壊してしまうから。
“真の味、これ淡い―。”美人は化粧しなくても美しい。そういう気持ちで召し上がれ。

辻 義一(つじ よしかず)プロフィール

祖父・辻留次郎氏、父・辻嘉一氏と、明治時代から三代にわたってその味が伝えられている懐石料理の老舗「辻留」の三代目主人。23歳のとき、芸術家であり料理人でもあった、北大路魯山人氏のもとで修行。味の追求と料理人の心を学ぶ。

著書
『辻留 日本料理を彩る』(小学館)
『魯山人・器と料理』(里文出版)
『辻留料理塾 だれでもできる和食の基本』(経済界)

インタビュアー:下田ちひろ(海の精)