清水徳行さま

清水徳行さま

訪問日:2012.9.8

東京・伊豆大島にある「海鮮茶屋寿し光」オーナー、大島物産の清水徳行さん。

“いいもの”にこだわりながら、“伊豆大島ならでは”を伝えるべく、他にも「料理自慢の宿レスト風」、「食事処和歌」、東京都町田市で「すし清水」を経営されています。

また、ご出身校・玉川大学では、さまざまな名立たる飲食店や旅館の集まる会“観光・レジャー部会”の幹事としても、活躍されています。
そんな清水さんは、実は弊社社長の寺田とは幼なじみ。幼いころはよく一緒に遊んでいたそうです。
寺田の話によると子供のころから元気活発で、大島の中でも希有な才気あふれるタイプだったそうです。
今回は、元町港からすぐ近くで、高台のとても眺めのよいところにある清水さんのお店「寿し光」で、お話を伺いました。

1年に及ぶ国民宿舎めぐり

1980年に大学を卒業して、いつか大島でスーパーマーケットをやろうと思っていたので、東急ストアに入社しました。でも、大きいスーパーっていうのもあって、いろいろな管理だの、なんだかんだ大変で、大島にそのノウハウを生かすのは難しいかなって思ったんです。2年働いて、大島でのスーパー開店の夢は諦めました。

次に目指したのは、国民宿舎の経営。実家が大島の三原山の山頂で「歌の茶屋」という休憩所と国民宿舎をやっていたので、あとを継ごうと思って。そのためにも、まずは全国各地を見て学ぼうと、国民宿舎めぐりの旅に出たんですよ。東日本から九州まで、本当いろんなとこ行って、1年が過ぎました。
それでもう飽きちゃったんだけど(笑)、何がって、食べ物がみんな同じってこと。刺身と天ぷらとというように、いろんな地方に行っているのに、代り映えのしない食事ばかりだったなという印象。そんななかででも勉強になったのは、まずは、どんな料理の提供をしたらいいのかということ。

みんな同じような食べ物だったからこそ、どういう料理が喜ばれるのかっていうのが分かった気がします。あとは、“会話”が大切だなということ。やっぱり人って、一つ一つの会話のなかで、なんかほっとできる場所を求めているんだって感じました。この一年間全国を回ったなかで勉強になったことを、将来の自分に生かせればなと思いました。

伊豆大島で頑張る

その後、今はもうないけれど、当時自由が丘にあった「大島屋」という料亭で、2年間板前修業をしました。国民宿舎やるにも、やっぱり料理もできないとと思って。そこの先代が大島と神津島の出身で、だから店の名前も大島屋。一からの修行でした。割烹料亭だったので、そういったところで料理の勉強させてもらえたことはいい経験です。

それで27歳の時、島に戻って、実家の国民宿舎を継ぐことになりました。

でも世の中だんだん不景気になってきて、伊豆大島も自分の子どものころみたいな活気も失ってきた気がしました。それで、「国民宿舎だけじゃだめだ。なんかやんなきゃいけない!」と思い、1988年に「大島物産」という会社を立ち上げたのです。

やっぱり大島で生まれたし、ここでやっていくには、全面に押し出していきたいっていう気持ちが強かったから、“大島ならでは”っていうのを目指しました。特産品でもある明日葉を使った加工品を作って、島内で売っています。自然の恵みから生まれたオリジナル商品はおみやげにも喜ばれています。やっぱり、その土地のものってのがいい。

いいものへのこだわり

寿司屋をはじめたのは、もっと景気が悪くなって、元町に寿司屋が一軒もなくなってしまったことがきっかけ。大島の中心部と言ったら元町なのに、そこに一軒も寿司屋がないとはさみしいもの。だから、廃業した寿司屋を買い上げて、「海鮮茶屋寿し光」にしたんです。

寿し光をやるって決めたときに、寺田さん(弊社社長)に相談して、塩だけじゃなくて、お酢とかお酒とかいろいろ紹介してもらいました。もちろん「海の精」は知っていたけれど、その他も自然なもので、かつ一番いいもので揃えたかったから。

なかでも一番のこだわりは、やっぱり“魚”。子供のころは魚を捕るのが得意で、よく潜っていました。突きで捕っていたくらい。それだけ捕れたての新鮮なものを食べて育ったから、変なもんは食えないし、店でなんて出せない。

だから、大島じゃなきゃ食べられない魚。例えば、タカベとかムロアジとかメジナとか。地魚は臭いが回っちゃうから、東京まで持っていったら刺身じゃ食えない魚、やっぱり捕れたてじゃなきゃうまくない魚を出しています。刺身食べない子どもが来て、刺身食べたってこともあるくらい。

東京みたいにまんべんなくお客さんがくればいいけれど、大島でやっていくのは難しい。いいときと悪いときの差が激しいから、シーズンオフにどうやってお客さんを呼ぶかって。
天然物、新鮮なもの、最高に素材を吟味する。同じメニューじゃなくて、どんどん季節に合わせて変えていくようにしています。常連が多いですから、いつも同じものは出せないでしょ。

大島名物の「べっこう寿司」も美味です。

大学の仲間の輪

主に魚の調達は島内の岡田港や波浮港。前はいなかったんだけど、海流が変わって、大島でマグロも獲れ始めました。50~60kgの大島のマグロもうまいですよ。1本買いしています。
あとマグロに関しては、「樋長(ひちょう)」っていう築地のマグロ専門の仲買でも買っています。やっぱりここのマグロはうまい。大学の後輩がやっているんですよ。

玉川学園の同窓生で結成された「観光・レジャー部会」っていうのがあって。酒や肉とか玉川学園の部会関係で仕入れられるものは、できるだけ仲間うちで仕入れています。7年前に同窓会の部長が、そういうものを作ろうって言って、旅館やホテルとかレストランとかそういう仕事に携わっている人たちが集まります。部会の仲間でお互いに仕入れたり、お客さんが増えたり、助かることが多いので、結成してよかったと思います。
一番トップの会長が陳健一さん、副会長がつきぢ田村の田村さんとか。みんな学部も学年も全然違うんですが、代表だったり、経営陣、子息とかがいて。自分は、その幹事をやっていて、年に一回80人くらいが集まっています。

偶然の「海の精」

その部会で、「海の精」を使っていたり、売っていたりってところがけっこう多いんですよ。辻留、つきぢ田村、花園万頭、人形町今半、みのや吉兵衛、鈴廣とか。別に紹介したわけじゃないけれど、たまたま?「海の精」使っているところは多いね。俺が伊豆大島だからかな(笑)。

毎年11月に、母校の玉川学園で“コスモス祭”っていう文化祭みたいなものがあります。卒業生である懐石料理「青山」、「四川飯店」、「つきぢ田村」、「銀座アスター」、「人形町今半」、「キャンティ」、あとうちの寿司屋。町田のうちの店「すし清水」では、10年前の開店の時から、海の精の「紅玉梅酢」を寿司酢にブレンドして使っています。この時に出す弁当でももちろん使います。

いろんなところの味が集まっているから、自分の好みを選んで買えばいいし、楽しいと思いますよ。“スペシャル”って感じで。当日は手伝いで行きますし、ぜひいろんな人に来てもらいたいです。

伊豆大島でのこれから

昔は画家や作家がよく大島を訪れてきました。昭和初期は島自体がおもてなし態勢がよかったからか、著名人の方がスケッチとかいろんな作品を残していってくれました。
もっといっぱいあったんだけど、元町大火で焼けたり台風などの被害でなくなっちゃたりして。レスト風のロビーには、藤田嗣治や伊東深水とかその中でも残ったものを展示しています。

最近は、年配の方で三原山にハイキングに来たり、若手の旅行者も少し増えました。釣りのお客様もいらっしゃいます。ただ、もう少し交通の便がよくなれば、もっと増えると思います。おいしいごはん食べに行こうって感じで、気軽に来てもらえるようになればなと。
前に銀座で店をやっていたこともあって、また銀座で店を出してほしいという声もあるけれど、本家はやっぱりここ、伊豆大島。これからは、今の商売を濃くしていくだけ。かたく堅実に。それを一生懸命やるだけです。

伊豆大島・元町の「海鮮茶屋 寿し光」さん。玄関では大きなゴジラのような石像が出迎えます。

清水徳行(しみず のりゆき)プロフィール

株式会社大島物産代表取締役。生まれ育った東京・伊豆大島で「海鮮茶屋寿し光」、「料理自慢の宿 レスト風」、「食事処和歌」、東京都町田市で「すし清水」を経営されている。
玉川大学卒業後、大手スーパーに勤務するが、大島でそのノウハウを活かすのは困難とスーパー開店の夢を断念し、実家の国民宿舎を継ぐために、全国の国民宿舎めぐりに出る。その経験を生かし、株式会社大島物産を立ち上げ、大島みやげの販売、飲食店や宿泊施設の経営など幅広く活躍されている。

編集後記

清水さんはとってもアクティブな方で、インタビューをしている方が聞かれているような錯覚に陥ります。お店をいくつも経営されていたり、たくさんのお知り合いがいらっしゃるせいか、私どもと会話中もたびたび電話がかかってきたり、お客様の応対をされたり、とても充実した時間を過ごされている方です。

清水さんのまわりに多くのかたが集まってくるのは決して偶然ではなく、磁石のように人を惹きつけるエネルギーを持っていらっしゃるのだと感じました。海の精への要望として、アンテナショップを提案していただきましたが、大島でのお弁当やレスト風の食事では塩麹をつかったメニューも既に実践していただき、新しいものへの興味や行動は躊躇がありません。

よいものへのこだわり、手仕事という基本的な部分をしっかり持ち続けている清水さん。「寿し光」や「すし清水」は各店長さんに任せて、殆ど口を出さずに現場のモチベーションを上げていくのもまた仕事の技なのでしょう。私どもも、この姿勢を見習って前に進んで行きたいと思いました。

インタビュアー:加藤冨美子(海の精)