タカコ・ナカムラさま

タカコ・ナカムラさま

海の精大島製塩場 来訪日:2011.6.6

ますます注目が集まる「塩麹」。各種メディアの“塩麹特集”にも、たびたび登場される「発酵」料理研究家・タカコ・ナカムラさん。
現在、オーガニック野菜を中心とした無添加・無農薬の自然素材を活かし、様々な料理法で駆使して、深く楽しく展開される料理教室“タカコ・ナカムラ ホールフードスクール”を東京と福岡で開講されています。

「塩麹」に続いて話題を集めているのが、100℃以下の低温で蒸す「低温スチーミング」調理法です。想像を超えた「野菜シャッキリ、甘みたっぷり」の不思議感は、受講した人だけにしかわかりません! そこが人気の秘密のようです。

「食」の新しい話題を次々と発信されるタカコさん。今回は、そのホールフードスクールに通う生徒さん達とご一緒に、海の精大島製塩場の見学にいらっしゃいました。

※“ホールフード”とは、まるごとの食べ物。良い食材を選んで、きちんと料理をして、まるごと残さず食べることだけでなく、暮らし全体を考え、農業や環境まで広く自分の健康と同じように考える概念。

8年ぶりです! 海の精へようこそ

前回、製塩場を見学したのは8年くらい前でした。その時に比べると、製塩場全体、海の精の会社そのものが若返って発展されたような感じです。まるで「還暦」を越えて、新たな命を得て、生まれ変わったような印象を受けました。
海の精はいわゆる「自然海塩」と呼ばれる塩メーカーの中では老舗中の老舗。世間では、とかく安定すると守りに入り、余計なことはそれ以上したがらない企業が多いと思うのですが、海の精の場合はそこが違っていて、新しいことに挑戦しようという雰囲気が、みなぎっていてとても衝撃的でした。

久しぶりにお会いする村上代表の、塩に対する姿勢や熱い想いは、まったく色あせることなく、より鮮明に目指すゴールをはっきり見すえておられる気がしました。 このような姿勢が根本にあって、それが塩の作り方や塩そのものに反映されていることが良く分かりました。そして、どうしたら全社的に、こんなふうに前向きで、しっかりした意識や目標を皆さんに持ってもらい、それを維持していけるのか、インタビューを受ける私のほうがくわしく聞いてみたいなって思いました。 見学を通じて本当に元気をいただきました。ぜひ、よりたくさんの人に来て、見ていただけたらいいと思いました。元気をもらった、それだけではなく真の経営のあり方も学ばせていただいた、そんな有意義な一日になりました。

今回はホールフードスクールのみなさんと一緒にお越しいただきました。

マクロビオティックに衝撃! 導かれるようにアメリカへ

大学卒業後、商社に就職しましたが、ほどなくその会社には自分が一人の人としてではなく、単なる「駒」としてしか扱ってもらえないことが分かり、退職を決意しました。
一人で生きてゆくためにも「手に職をつけたい。自分を表現できる何かを持ちたい。」って思いました。働きながら夜間のメーキャップアーティストの専門学校に通った後、上京しましたが、望んでいたメーキャップの仕事はなく、販売員として化粧品会社に就職しました。 そこでお客様から、「私、マクロビオティックの勉強したいの。リマ・クッキングスクールっていうのがあるんだけど、あなたも一緒に行かない?」と誘われました。興味を引かれ、お付き合いすることに決めましたが、通うからにはまず予習をと思い、「マクロビオティック」の本を読み始めました。
それまで生きてきて、自分の心の中にストンとストレートに入ってきたものは何ひとつなかったのに、学び始めてすぐに「すばらしい!」と衝撃を受け、「マクロビオティックは間違いない!」と確信しました。こんな素敵なものを世界に広めてこられた桜沢先生(桜沢如一=マクロビオティックの創始者)は本当にすばらしい方だと思いました。

けれど、1年くらい通ううちに、私が思い描いていたマクロビオティックの考え方やあり方と、実際の料理教室との間に微妙にギャップが生まれてきました・・・。
悩んでいたその時、「タカコさん、アメリカへ行きなよ」と言ってくれた方がいました。
行ってみたいけどお金も無いしツテも無し、なんて思いあぐねていると・・その方が、「友人がBlue In’s(ブルーアイリス)というレストランをしているから訪ねていくといいよ」と連絡先を書いた紙切れをくれたので、ただそれだけを頼りに渡米しました。

サンフランシスコにあるレストラン「ブルーアイリス」は、とても素敵なところでした。今の私の料理のベースはそこで学んだといってもいいくらいです。
ブルーアイリスで学ぶ以外にも、もっといろいろと勉強したかったので、そこからお友達を紹介してもらい、旅に出ました。お金がなくなったら、帰国してバイトして、お金を貯めてまた渡米する。あの頃は、そんなことを夢中で繰り返していました。
尊敬できる人のところに行きたい! といつも思っていました。出会う人ごとに同じようにお友達を紹介していただきながら、やがてボストンを拠点にマクロビオティックの普及に努めている、久司道夫先生のところにもたどり着きました。

人から人へのつながりを頼りにアメリカ中を渡り歩きました。お世話になった方々には今でも本当に感謝しています。

「ブラウンライス」、そして「ホールフード協会」創設へ

アメリカから帰国した後は、専門学校のカフェでマクロビオティック料理を作ることになりました。それが私の料理人生の最初の第一歩でした。オーナーご夫妻には好評でしたが、生徒にはまったくウケませんでした。(笑)

そんな中、グルメ業界の大御所と呼ばれる方が、お客様としていらっしゃいました。その方に「あなた、面白い料理するわね。」と声をかけられ、その後トントン拍子で話が進み、「ハナダスイーツ」という菓子店を一軒、プロデュースすることになりました。
普通のお菓子屋さんだったものを、国産原料と自然食の「こだわりのお菓子」に変えて、年間売上が急増。当時はそういうお菓子屋さんはなかったので、それほど売り上げが伸びたんだと思います。1989年、そのお店を譲り受け、「ブラウンライス」として創業しました。
2002年、表参道のカフェをプロデュースすることになりました。「こういうカフェがやりたい!」という自分のすべての思いを全力で注ぎました。そして、それは実現できたと思います。その時に今の前身となるスクール事業も着手しました。

今年、2011年2月、古民家を借りて開いた「麹カフェ」のイベントが話題を呼びました。また、その頃に出版した『塩麹と甘酒のおいしいレシピ』も評判になり、すでに今までに7刷目という好調さです。いつもなら何となくやりすごせたこの流れ・・・でも今回だけは何か違う、そう考えた末に、結局、今の私には自分の本当のベース(拠点)が無いんだということに気がつきました。他人から見たら充分にあるように見えたのかもしれないけど、実は無かったんです。そのために色んなことで支障がでてきてしまっていた・・・。

これまで、「無理をしないで、何もしないで家にいてくれるのが一番いい」と私の仕事に批判的だった夫が、「麹が来ている今しか勝負に出るときはない!」と背中を押してくれたんです。そして今年3月、満を持してホールフードの活動のベースであるキッチンスタジオを洗足池に作りました。

発酵食文化は「塩麹」を知ることから

スクール事業をスタートした当時から、麹や発酵ものの講座は開講していました。10年あまり前に山形で「三五八漬」に出会って、これは面白い! と思いました。でも、地元で誰に聞いても漬物以外には使わないって言われるんです。こんなにおいしいのに、もったいないなって。
一方、大分の麹屋本店の浅利妙峰さんは、麹屋を元気にしようと、もっと手軽に麹を使える「塩麹」を発売されていました。東と西の「麹」が東京でつながった気がしました。

私は発酵醸造品が大好きで、「麹」こそが日本の食文化の要であるから、何とか残していきたいし、もっと気軽に使ってほしいという願いがあったんです。「麹」がなければ、酒も味噌も醤油もできない。今は「麹」が何なのか、酒や味噌の原料であることすら知らない人が多いんですよ。この国、日本は世界に誇るべき「麹」を、なんて粗末にしているんだろうと思います。

3.11の震災後、世の中はガラっと変わりました。雑誌やテレビも特集で内容を急いで差し替える中、過度に自粛ムードにならず、ほどほどのものをと探すうちに取り上げられたのが、「食」=「麹」だったんだと思うんです。そこで注目されたものが、「発酵食品」や「塩麹」だったんです。
「麹」を使った発酵醸造品は時間がかかるのが常識です。味噌も醤油も天然醸造のものなら1年以上の月日がかかります。でも「塩麹」なら約1週間で出来上がります。簡単に自分でも作れるし、どんな料理にでも使える万能調味料です。「塩麹」を知った若い人たちも「塩麹」から「麹」を勉強します。「麹」から、酒も甘酒も味噌も醤油も酢もできているということを知ります。
「塩麹」というナビが、逆ルートで日本の食文化の道案内をしてくれるんだと思います。

抜群の料理センスはどこから? そして御主人との出会い

私は生まれたときから、肉・魚・卵・牛乳がダメな、いわゆるベジタリアンだったんです。家族はみんな普通に食事をしているけど、私はいつも食べられないのでつまらなかった。でも次第に、どうやったら私も食べられるんだろうって考えるようになっていたんです。
例えば、牛乳や生クリームを使ったグラタンだって、豆乳に変えれば私も食べられる! と思い、次々に自分で工夫してレシピを考えるようになりました。

昔はマクロビオティックやベジタリアンの本より、国内外の有名シェフの本をよく見ていたんです。一流料理人のレシピが私の料理の先生かもしれません。

憧れている料理人は、アメリカ・カリフォルニア州バークレーにあるレストラン「シェ・パニース」の女性シェフ、アリスウォーターさんです。当時から地産地消という言葉を使い、レストランが地元の生産者を育てるということをしていた方で、雑誌TIMEで恒例の「影響を与えた女性100人」でもいつも上位に入っていた方です。

アリスさんは生涯尊敬している方ですが、日本の料理界の中では夫・日髙良実です。彼の料理に対するセンスは、他のシェフとは全然違うと思っています。出会いは、イタリアから帰国したばかりの彼が働いていた“リストランテ山崎”にランチを食べに行った時でした。その時に出された料理が抜群においしくて、またセンスにあふれていました。料理にも人物にも、一目惚れしてしまいました(笑)。

私の実家は割烹料理店を営んでいて、両親はとにかく毎日が忙しくて、常に家族団らんがなく、いつも家に板前さんや仲居さんがいる環境でした。なので、サラリーマンに憧れていて、結婚するなら絶対サラリーマン! って思っていました。それなのに、料理人の彼と結婚するとは…(笑)。結婚の年に彼の方は「アクアパッツァ」のシェフになりました。そして子供も生まれ、すべてが今年で20周年です。

発酵食品づくりに、「海の精」は欠かせない!

私は本当にいろんなことに興味があるんですね。新しいことがあったら、どんどん勉強していきたいなって思っています。だから、「塩麹」と「低温スチーム」で一生食べていくなんて思っていないですよ(笑)。

私は発酵醸造が好きで、麹の好きな温度は高温じゃなく約60度。その温度には秘密があるんだろうなって。「海の精」の塩づくりにもちゃんと科学的な裏づけがあって、温度帯はやっぱり大切なんだろうなってすごく思っています。

私は2000年から味噌を約500キロ仕込んでいます。毎年塩を変えて。ある年、おいしいと思っていた塩で仕込んで、さぞかしおいしくなると期待していたんです。ところが、全然発酵がうまくいかなくて、おいしい味噌ができないんですね。1年でできる味噌が3年かかりました。商品の裏面に書いてあるナトリウム成分を計算して塩の量を決めて仕込んだのですが、発酵がうまくいかないのは成分量が違うからなんですね。

「自然海塩と呼ばれる塩は自然のものだから毎回違って当然。」っていう考えもありますが、ある程度の量を仕込む場合、これがネックになります。何度も痛い思いをして、最終的に「海の精」に落ち着きました。
それは発酵醸造メーカーだけじゃなく、料理人にとっても同じなんじゃないかなって。

「海の精」は成分のブレが本当に少ない素晴らしい「塩」だと思っています。

タカコ・ナカムラ(たかこ なかむら)プロフィール

山口県山陽小野田市で割烹料理店を営む家に生まれる。桜沢里真氏にマクロビオティックの基礎を学び、アメリカに遊学してWhole Foodに目覚める。ブラウンライス・カフェ、Kanbutsu caféプロデュースを経て、現在、食と暮らしと環境をまるごと学ぶ「タカコ・ナカムラWhole Foodスクール」主宰。

著者
『タカコ・ナカムラのWhole Foodでいこう』自然食通信社
『まるごといただきます』共著、西日本新聞社
『“Kanbutsuカフェ”の魔法のレシピ』実業の日本社
『低温スチーミング入門』自然食通信社 など多数。

インタビュアー:釜谷美智子(海の精)