降矢泰次さま

降矢泰次さま

訪問日:2013.6.15

東京・品川区(現在は長野県小諸市)にある自家製天然酵母パンの店「Spica 麦の穂」のオーナーシェフ・降矢泰次さん。
「今日食べるものが、明日の私になる」というコンセプトのもと、もうすぐ開店25年目を迎えられます。砂糖や油は使わずに、国産の挽きたての小麦、自家製の天然酵母、伝統海塩「海の精」で作る、こだわりの天然酵母パン。酸っぱくて、硬いという天然酵母パンの常識を変えた「私のお気に入り」というパンは、一番の看板メニューです。試行錯誤ののちに生まれたこの商品は、「海の精」だから出せる味とまでおっしゃっていただいています。

今回はそんな降矢さんに、お話を伺いました。

世の中を変えていくっていう気持ちで

ひとつひとつ丁寧に作ります。

今度の9月でこの店も25年目。うちみたいなお店がよくやり続けて来られたなぁとつくづく思います。

昔は本当に珍しかった天然酵母も、外を歩けば、天然酵母のパン屋ってすごく増えましたから。うちは古ーいお客様が来てくださるおかげで、今も店を続けられています。

店での販売と個人の方への宅配、あとは冷え取りをやっているグループの方たちが買ってくれています。麦は体を冷やすってよく言われますけど、そうじゃないって方たちがいらっしゃって。麦はいいんですよ。春は肝臓の毒出しをしてくれるっていう話もあるくらいですから。

ここの店を始める前は、普通のパン屋に長年勤めてきました。けれど、天然酵母は、これからの仕事だなって。流行りとかじゃなくて、ずっとやり続けていける仕事じゃないかなと思いました。天然酵母で有名なルヴァンさんで学ばせてもらって、そのあと“Spica麦の穂”を始めました。

こういうパンに出会えてよかった。考えながらものを作れるって本当にうれしいことです。考えないでものを作っていたのが大半だったから。このおかげで、新しいことにいっぱい出会いました。農家の方にもだし、仲間というか、同じように目指している人たちにも出会えました。

「海の精」に合わせた仕込み方

自分の目で見たものを使いたいって言うのがはじまりだったから、お店を始める前はあっちこっち全国の農家を歩きまわりました。そのときの一つが塩。

ここの店が25年だから、“海の精”との出会いは、もっと前。子供のアトピーがきっかけで自然食をはじめていて、家ではもう使っていた気がします。自然食の世界では、すでに有名でしたから。

店で使うにあたって、伊豆大島にも塩づくりを見に行きました。自分も一生懸命やっている頃だったから、見ていてすごいなって。みんなが材木をかついで設備を作っていて、作業が終わると、みんな海に飛び込んでいってっていう風景を今でも覚えています。子供にはちゃんとしたものをあげたいと思ったのと、東京のパン屋だから、やっぱり近いところの塩がいいなと思って。

それからはずっと「海の精」。もう慣れちゃっているから、他の塩に変えようとは思いません。やっぱり塩によってパンは変わるって、そう思っていますから。絶対に塩は味を作っています。

また、新しい塩にするには、他の材料の配合も全部変えなきゃいけないんです。大げさに言うと、「海の精」に合わせた仕込み方ですから。別にゴマすっているわけではなくて。

なんでそんな高い塩を使うのって言われることもありますが、安い塩でもいいけれど、変えることができないんです。

おいしさを伝えたい―

今の塩の使い方に落ち着くまでは、いろんな使い方しました。少し水分を飛ばしてあげないと、パンをこねたときの水分加減が変わってくるので、ちょっと乾かしてあげないといけない。けれど、セラミックで乾煎りする方法だと、パンがぱーんと張っちゃって。あとオーブンで塩を焼く方法だと、塩が苦くなっちゃって。火を通すと甘さは残せるけれど、苦みも出ちゃうので、自然に水分をうまく飛ばす方法を見つけ出すのが、なかなか大変でした。

結局、干して使うところに行きつきました。オーブンの横のラックに置いて、冬は3日くらい、夏は1週間くらいかな。干した後、麺棒をちょっとあてています。小さい店だからこんなことやっていられますが、塩を使うにも、ちょっとしたひと手間を加えて。

安心とか安全とかは言いたくないんです。やっぱり一番に、おいしさを伝えたいと思っていますから。でもそのときに自信を持って、「海の精」を使っていますって言えるんです。塩をはじめ、どの材料を見られても何ひとつ恥ずかしいことはありません。だから、中までずーっと入ってもらって構わないです。どんなに大手や商社だってまねできないって思って作っています。

「海の精」だから出せる味

お店の看板メニュー“私のお気に入り”。有機レーズン、くるみ、カレンツがぎっしり。周りにはオートミールがたっぷりついています。

うちの店の看板メニューが「私のお気に入り」。これが、「海の精」だから出せる味です。前にいた店長の方が大好きで、「これは私のお気に入りね」ってところから名前になりました。

天然酵母って言うと、酸っぱくて硬くて。そこをどうしたらいいかを悩んで見つけていったものがこのパンです。粉、塩、水、天然酵母、それにいろいろなナッツ類を入れて、そんなに酸っぱくないので、とても一般受けします。

天然酵母に出会ったのは、30年前。怒られちゃうけれど、まぁまずいと思った。ふくらまないし、細いし、酸味があって、硬くて。砂糖も油も入れないでできるパンがいいと信じていましたから、材料は変えずに、どういう仕込みをすればいいのかって、相当悩みました。全部部屋を締め切って温度を上げてやればいいってわけじゃないし、その季節の気候を含めて、できるだけ自然環境の中でやりたいので。

こね方を変えたり、いろいろな工夫を加えましたが、山のように失敗だらけ。試行錯誤の連続でした。

でも今までの失敗が山のようにあるから、その失敗の上にまた次の新しいものを乗せるのは難しくありません。やっぱり納得っていうのは、お客様に納得してもらわなきゃいけないもの。ただ、自分で最善を尽くしたと思えるパンを出して行って、それがやっとお客様にも気に入ってもらえるようになったと思っています。

プロも通うパン講座

お店では、パン講座もやっています。必ず、「海の精」を使っているってことを言います。まず塩をなめてもらうんですよ。「海の精」なんてわからない方もいますから。なかなか塩だけを舐める機会なんてないけれど、舐めると、みんなおいしいって言います。塩も種類がいっぱいあるから自分でやるときは別だけど、講座でやる3回は、「この塩の、この塩加減でやっていただきたい」ってはっきり言います。そうじゃないとうちのパンの味は出せない、味が変わるって思っています。

人数を集めてやろうとは思っていないので、いつも4、5人くらいです。みんな下の名前で呼ばせてもらって、友達感覚で、わいわいやっています。最初近所のお客さんだけと思っていたら、偶然うちのホームページにたどり着いた方とかけっこう遠くからいらっしゃったり、意外に教えている方が来たりします。職人さんに教わりたいのと、値段が安いってので、うちが検索にひっかかるみたいで。

自家製の酵母を使って、一からちゃんとていねいに教えます。あまりにもこちらがちゃんと教えるもんだから、最後に、実は…って自分もパン屋だってことを明かしてきたりすることもあります。業界がよくなる分にはいいじゃないですか。昔は嫌でしたが、今はどうぞ使ってくださいって快く言っています。

蒸して食べるのがおすすめ

「今までパンを捨てたことあるんですか?」って聞かれることもありますが、うちは捨てたことがありません。材料を無駄にするっていうのは、作ってくれた方に一番失礼です。麦粒が落ちたら必ず洗って使います。「海の精」なんて無駄にするものがありません。よっぽど下に落ちちゃえば別ですけど、無駄にすることがないように、きっちりやっています。

うちのパンは、1か月くらい経っても、おいしく食べられます。冷蔵庫でかちかちになったものも、蒸して食べれば本当においしい。甘さが増すので、酸味を感じなくなるし、柔らかくもなります。蒸した方が消化されやすく、とてもおなかにやさしいので、子供やお年寄りには、そういった食べ方を薦めています。

やり方は、せいろやざるを乗せて、蒸気が出てから3分くらい蒸すだけ。

ぐっとレーズンとかクルミとか一個ずつの旨みが出てくるし、ライ麦の酸味があるパンなんてこんなに変わるのってくらいおいしい。

朝面倒くさくても、焼くより蒸した方がおすすめです。焼いたのもおいしいですけれど、小さいお子さんとかお病気された方とかには、特にいいです。

ごはんの代わりになるパン

“ごはんの代わりになるパン”っていうのが、うちのコンセプト。チーズを乗せるのもいいですし、おひたし、お漬物、あとは豆腐を乗せて食べても。お漬物の酸味とチーズを乗せただけで、なんですかこれはってくらいおいしい。佃煮とか和風のお惣菜とかと食べておいしいんです。

そこに持っていくのが面白かったです。普通のパンをただ蒸したよりも、口どけがいいはず。その口どけの良さが粉、塩、酵母で、いかに発酵の時間をかけるかで工夫しました。できるまでは本当に毎日頭からパンが離れなくて。築くまでは時間が相当かかりました。こういう味になったのは、ここ最近です。

とにかくごはんの代わりになるパンを作りたかったので、味をぐっと出せばいいってわけではありませんでした。だから、普通の塩でやってもだめ。そこで、「海の精」なんです。別にほめているわけじゃなくて、うちのパンは、「海の精」に合わせて作ったようなものなんです。

自分で選んできたひとつの道

「セコムの食」(全国各地の特産品を集めたお取り寄せ通販)で有名なバイヤーがいるんですけれど、どうしてもやりたいと言って、その方がはじめてやったのがうちのパン。

ここに来るお客さんを大事にしたいから、外に売る気はまったくありませんでした。本当は来た注文は全部受けて欲しいけれど、1日3件でもいいからやってほしいというほどの熱意。3件ならってことではじめた「セコムの食」からは、はじめものすごい数の注文が来ました。でも、いつもその上にあぐらはかきませんでした。ひとつずつ大切に作ってきました。それは、これからもずっと変わりません。

いろいろあって、正直、もうやめようかと思った時期もありました。でも、やめないって決めたんです。決して安いわけではないのに、天然酵母だからっていうだけじゃなくて、うちを信じて買ってくださるお客様がたくさんいます。やめてしまったら、本当にうちのパンを求めている方に申し訳ない。やっぱり力は抜けません。そういう意味でも、ものづくりをやってこれて、本当にうれしい。だから、自分で選んできたひとつの道をずっと続けようと思っています。

降矢泰次(ふりや たいじ)プロフィール

大手パンメーカーで長年働いていたものの、天然酵母のパンに出会う。天然酵母の老舗「ルヴァン」で働いたのち、1988年、「Spica 麦の穂」を開店。砂糖や油は使わずに、レーズンから作る自家製酵母、その都度お店で挽く小麦粉で、天然酵母パンを作っている。

【お店】
Spica 麦の穂

インタビュアー:下田ちひろ(海の精)