松本光司さま

松本光司さま

海の精大島製塩場 来訪日:2011.4.4

リマ・クッキングスクール校長の松本光司先生。

日本料理の板前として活躍されていましたが、体調を崩したことがきっかけで、マクロビオティックの世界に入りました。マクロビオティックの創始者・桜沢如一氏から直接指導を受け、桜沢先生逝去後は、桜沢先生の奥様・里真夫人とともに、世界中を回り、マクロビオティックを広めてこられました。

松本先生が創り出す繊細で彩りきれいなお料理を見れば、板前時代のご経験がすべて生かされていることがわかります。
今回は、そんな松本先生が30年ぶりに海の精・大島製塩場にいらっしゃいました。

食養との出会い

板前の集まりで、当時では珍しい女性の板前さんに出会ったのがきっかけでした。
それが、愛子先生(田中愛子先生=リマ・クッキングスクール顧問)だったのです。「病気を治したいのなら、玄米を10日間食べなさい」と教えてくれたのが、食養との出会いです。
とにかく自分の体を早く治すことに必死でしたから、何の違和感もありませんでした。玄米を食べ始めて4日目に、なにか自分の体が変わっていく感じを受けました。体が喜んでいるという感じ。

やはり、割烹の板前としては、味の追求は欠かせませんでした。だから、ごちそうづくめの毎日で、うんと食べた揚句に、また食べての繰り返し。あのままだったら、僕は40代でこの世にはいなかったでしょう。

そして1961年に、桜沢先生との出会いがありました。愛子先生の下で、歓迎会のお食事の準備をお手伝いしていた時、愛子先生が紹介してくれて。
桜沢先生は、僕の顔を下から上まで鋭い目で見て、「君はずいぶん悪いもの入れてきたねー。肝臓はやられてるし、心臓が肥大しているし。」と、顔を見ただけで分かっちゃうなんて、本当びっくりしました。
「でも大丈夫よ。玄米食べていたら、元気になれるよ」って言われて、それから生徒として実践して、8カ月かかったけれど、見事肝硬変が治りました。

里真先生は厳しいお方だけど…

桜沢先生が生きておられる時はずっと桜沢先生の生徒だったけど、結局4年半しか教えてもらえなかった。だから、僕は里真先生との方が長いんです。

外国の生活が長かった里真先生は、洋食は作れるけれど、和食はやってないから、僕は料理を作らされちゃってね。「これとこれと材料があったら、何ができるの」って材料を持ってくるような方です。

それから日本料理の勉強がしたいと言うようになったので、日本料理研究会の展示会に毎月一緒に訪れるようになりました。日本料理界の師範の方たちが作るお料理だから、どれも素晴らしいものばかり。
作った本人が目の前にいることをいいことに、どうやって作るのか直接聞いたりもしていました。一番驚いたのは、四条流の家元・石井泰次郎先生のところに行って、じかにどうやって作っているのか聞いているんですよ。誰も近づけない先生なのに、里真先生は、その料理の心得まで聞いていたから、本当びっくりで。あんなの初めて見ました。

里真先生は、恐れを知らない人。自分が興味を持ったら、とことん突き進む方でした。

タイ政府との取り組み

3年ほど前、タイ政府からの依頼があって、愛子先生と一緒にタイに行きました。 タイの方もだんだん裕福になってきて、上層階級の人たちの中に、急に糖尿病が増えてしまったようです。医者にかかるんだけど、ちっとも治らない。それは大変だと言うことになって、政府の人が必死でたどり着いた治療法が、“マクロビオティック”。日本が本場なんだからということで、めぐりめぐってこの話が来ました。

リゾートホテルに案内されて、朝の6時から夜11時までびっちり3日間、糖尿病の直し方についての講義をしました。講義を受けたのは35人で、その中に糖尿病の患者さんは2人。そこで糖尿病の直し方を学んだ方々がどんどん発信していけるようにということで、政府の役人が5人、管理栄養士が5人、西洋医学のお医者さんも混じっていました。

西洋医学の先生に、“食”で糖尿病が治るなんて話をしたら、鼻で笑っていた。僕たち3日間しかいなかったけれど、2人の患者さんに「玄米菜食を続けなさい。1杯の玄米を30分かけて、しっかりよく噛んで食べなさい」と言って、帰国しました。   その後、糖尿病の患者さんばかり24人を集めて、玄米菜食を実践されたそうです。一番早い人で20日、遅い人でも2ヶ月ちょっとで全員退院させたと言っています。マクロビオティックって、もっと進んだやり方をしていると思ったみたいですね。なのに玄米菜食で、24人がみんなや治っちゃったもんだから、タイ政府も本当びっくりされたようです。

釣りは、考えるいい時間!

僕がマクロビオティックを始めた20代のころは、当時若い人が全然いなかった。年配のおばあちゃんばっかり。最近は若い子の方が多くなったけれど、「マクロビオティック」って言って、若い子が集まってきたのはここ10年ほど。
自分が体を悪くしたのがきっかけっていうのは、今も昔も変わらないから、教えていることはずっと一緒。ただ、ずっと習ってる人は、上、その上を望んでくるから、それに応えるようにお料理は変えています。

釣りをやってると、「あれをこうやって作ったら、こんな料理になるんじゃないかな~」とか、「どうしたら最高においしく食べられるかな~」とか、次から次へと不思議といいアイディアが浮かんでくる。ただ一つのものにとらわれて、早く献立作っちゃおうではなくて、頭をからっぽにすることが大切。だから、釣りが好きなんです。 夜遅く帰ってきても、やってみたくてしょうがなくなって、材料さえあればそこからでも始まっちゃう。
いかにおいしそうに見えるか。本当においしく食べられるかを追い求めながら、釣りを楽しんでいます。

見事! ウマヅラハギが釣れました。

ずっと変わらない味「海の精」

30年ぶりに「海の精」の製塩場を見学して、“完成されている”という印象を受けました。 谷さん(谷克彦氏。海の精の母体になった食用塩調査会の研究員)と友達で、伊豆大島の方で、塩の研究をやっているという話を聞いて、わざわざ見に行ったのを覚えています。
当時はまだ、ブロックで作った塔の上から、ポンプで送った海水を上から流していたような気がします。あれからここまで来るのに、どれだけの創意工夫がなされたことか…。
進化した装置と、ずっと変わらない味―。伝統海塩、伝統製法という意味では、やっぱり「海の精」だなと思いました。

「海の精 ほししお」を作る天日温室

おいしいし、料理に使うのはやっぱり「海の精」。
一番塩の良さが分かるのは、“お吸い物”。よーくわかります。
昆布だしだと「海の精」だけで、一発で味が決まります。だから、お醤油は使いません。リマ・クッキングスクールが始まった時から僕はそう言ってきました。 醤油の香りはちょこっと入れるだけで、味ががらっと変わってしまうから、決まるものも決まらなくなっちゃうんだよ。それに、塩だけで味をつけてと言った方が、みんなうまくおいしく作りますよ。

これからの「海の精」

これからますます「海の精」は見直されると思う。今は放射能の心配があるから、とにかく塩っけを取りなさいと教えています。漬物にしても古漬けを食べなさいと。
「減塩、減塩」と叫ばれる中で、それを信じちゃって、塩不足が原因で具合悪くなっている人はいっぱいいます。余分なものは腎臓に落とされておしっこで出てくるから、健康な人は、今はとにかくいい塩を摂り入れなければいけない時。酸素を元気に運べるような赤血球を作って、元気な体を作っておきましょう。

あとは、とにかくまず日本で生活する限り、お米を中心に食べることを伝えたい。
おかずは少なめにして、ごはんをしっかり食べれば、元気でいられる。日本人にはお米が大事です。

「つるつる呑まず、かめよかめかめ」が何とも大切です。

松本光司(まつもと みつし)プロフィール

1936年生まれ。東京・浅草の割烹「ぎん鍋」で、日本料理の修行を開始する。体調を崩したことがきっかけで、マクロビオティックと出会い、健康を取りもどした。桜沢如一先生、里真先生に師事し、教えを受け、マクロビオティックの普及に努める。2000年、リマ・クッキングスクール校長に就任し、現在に至る。

著書
『穀菜和食~マクロビオティックの基本を学ぶ~』(柴田書店)
『桜沢里真のマクロビオティック基本食』(主婦と生活社)

インタビュアー:下田ちひろ(海の精)