弓削多洋一さま

弓削多洋一さま

訪問日:2014.3.12

埼玉県坂戸市に醤油蔵を構える「弓削多(ゆげた)醤油」4代目の弓削多 洋一さん。
県内でも水がきれいと言われる高麗川(こまがわ)が流れている土地で、国産の丸大豆と小麦を原料に、伝統技術を守りながら醤油づくりをされています。「一番いい醤油を作りたい」と思われたことをきっかけに、伝統海塩「海の精」で仕込んだ「“海の精使用”吟醸純生しょうゆ」も製造されています。

醤油について遊んで学べる「醤遊王国」では、全国でもめずらしい醤油のしぼり体験ができるだけでなく、しぼりたての醤油で味わえる、たまごかけごはんや醤油ソフトクリームが食べられます。

今回は、「醤油をより身近に慣れ親しんでもらいたい」という弓削多さんにお話を伺いました。

農家だった祖父が醤油屋に

祖父は、大豆や小麦を作る農家をしていたのですが、醸造業にすごく興味があって、味噌や醤油は自分の家で作っていたというほど。本格的に醤油・味噌蔵を興したいと思っていたところ、入間にあった親戚の醤油屋がちょうど売りに出たので、うちでやるということになったそうです。蔵の設備や杜氏(とうじ)さんを丸ごと受け入れて、大正12年、“弓削多醤油”という名前で現在の地(埼玉県坂戸市)で創業しました。親戚の蔵を含めると、200年以上の歴史があります。

祖父、叔父、親父がやって、私が4代目です。初代からの家訓「商売に羽織を着せろ」との教えと、自らの信念「醤油は食品なので安心して口に入れられるものでなくてはいけない、醤油は調味料なのでうまくなければ意味がない」という考えを守って、醤油を作り続けています。

あまり知られない醤油の歴史

醤油は、戦前と戦後で大きく違います。戦前は丸大豆醤油と言わなくても、それしかありませんでした。それが戦後になると、脱脂加工大豆を使った醤油だけに。食糧難で配給制だったため、大豆そのままを醤油に使うことができなかったのです。戦後から昭和50年代くらいまでは、どこの醤油屋も脱脂加工大豆しか使えませんでした。

それが昭和50年代、最初に埼玉県の醤油屋が“昔の醤油に戻そう”と言って、丸大豆醤油づくりを始めました。付加価値を付けるためにやろうとしたのですが、30年経つと、どこの醤油屋も世代交代をしているので、丸大豆醤油の作り方がわかりませんでした。そこで、埼玉県の醤油組合と県の試験場で研究をして、新しく作り直したという形です。

同じ丸大豆醤油でも、戦前と昭和50年代以降では製法が違うので、旨みが全然違うんです。醤油の旨みは、大豆のたんぱく質が主になります。昔は、大豆を煮ていたので、旨みが煮汁の方に出ていくので、どうしても旨みが減ってしまっていたようです。それが戦後、脱脂加工大豆を使い始めたときに、「蒸す」という形に変わったみたいです。脱脂加工大豆は油分を抜いてしまっているので、旨みも抜かれた状態。また、醤油の甘みやまろやかさ、赤っぽい色合いに仕上げるグリセリンも取ってしまっているので、それ以上に旨みを抜かないためにも、蒸すようになったそうです。今はなるべくたんぱく質を外に逃がさないように蒸して作っているので、脱脂加工大豆を使うより手間はかかりますが、味のレベルはうまく上がっているはずです。

原材料を厳選して作る“丸大豆醤油”

私がこの蔵に入って23年。ちょうどその頃は、醤油よりも問屋業の売上の方が多くなっていました。お客さんが小さなスーパーとか商店が多かったので、うちで作った醤油だけじゃなく、ジュースとかサラダ油とかいろいろなものを運んでいました。平成になって、商店もコンビニに変わっていく時代。問屋業だと面白みがないのもありましたが、このままだとやっていけなくなると思い、本業の醤油屋の方に完全に戻ろうと決めました。

もちろんずっと醤油は作っていましたが、丸大豆よりも脱脂加工大豆を使った醤油の方が多く、レストランや業務用がメインでした。丸大豆醤油は一部の家庭用で、百貨店さんとか生協さんに卸しているくらい。それが丸大豆醤油の方がだんだん増えてきたのは平成10年くらいからだったと思います。その後、平成13年から有機JASの醤油も始めて、そのときにはほとんど丸大豆醤油になりました。
脱脂加工大豆の醤油だと安くないと売れないので、大量生産のできる大手の方が圧倒的に強いんです。自分のところの味を生かせるものとなると、原材料を厳選して作った丸大豆醤油ということに行きついたのです。

希少な国産丸大豆を使った醤油

全国には1500軒もの醤油屋があります。ただその中で、大豆と小麦で麹を作るところからやっているのは200軒しかないと言われています。ほとんどの醤油屋さんは、もろみを絞った後の“生揚げ”(きあげ)を買ってきて、熱殺菌とビン詰めをするだけ。それだけでも製造者になりますから、どこで作ったのかがビンを見ただけでは分かりにくくなりました。

醤油は、大手5社で全体の5割を作っている業界。そして、醤油のうちの8割が脱脂加工大豆、丸大豆はたった2割だけしか使われていません。大手でも一部では丸大豆を使っていますが、ほとんどが脱脂加工大豆を使っていて、中堅どころでも脱脂加工大豆が目立ちます。また、その大豆の中で、国産大豆のシェアは3%しかありません。これは納豆屋さんとか豆腐屋さんも含めての数字です。もちろん大手は外国産の丸大豆ですし、醤油屋で国産の丸大豆を使っているところは本当に少ない。なかでも有機は特に希少です。

発酵の世界

醤油をしぼる前の“もろみ”が発酵・熟成している様子

蒸した大豆と炒った小麦を混ぜ、そこに種麹を使って、3日間で麹菌を育てます。その後、塩水と合わせて仕込むのですが、種麹の麹菌は、塩水と合わせるとここでほぼすべて死んでしまいます。この菌は発酵には必要なく、酵素を作るためのもの。たんぱく質やでんぷんを分解する酵素を作って、酵素さえできれば、麹菌はお役目御免という感じなのです。

発酵に必要な菌は酵母菌と乳酸菌で、桶(おけ)の中に住み着いているだけでなく、空気中にもいっぱいいるものです。木桶で仕込んだ場合、菌は桶の中に住み着いているので、冬場に仕込みをしておくと暖かくなってくるにつれて自然と発酵がはじまります。いろんな種類の菌が住んでいて、じゅんぐりじゅんぐりに発酵します。まずは乳酸菌が発酵します。乳酸菌も何種類かあって、一つの菌が増えていって、それが減ったところで次の菌が増える、というのを繰り返していくそうです。そして、乳酸菌の発酵が終わると、次に酵母菌の発酵がはじまります。少なくとも一年はかけて熟成させないと、醸造は終わりません。

それぞれの蔵の味

太平洋側と日本海側では気候が大きく違うだけでなく、周りの土も違いますから、気候風土によって、そこの地域に住みやすい菌が住んでいます。菌の種類が違うと発酵もまた違うものになるので、同じ原料を使っても、まったく違う味に仕上がるのです。
味は、好みの違いにもなってくるかもしれませんが、蔵の土地が大事。発酵食品は完全に身土不二だと思います。その地域に住んでいる人は、その空気になじんでいるから、おいしく感じるっていうことがあるのかもしれません。

木桶ではなくタンクで仕込む場合は、別に酵母菌や乳酸菌を加えないと発酵がはじまりません。いろんな菌を一緒に入れると死んでしまう菌もいるので、入れるタイミングが難しいです。だから、ほとんどの大手さんは一種類の菌だけを入れて、それが発酵したら終わり。時間は4ヶ月くらいでできますが、単純な発酵になるので、味も淡白に仕上がります。うちは木桶の方のもろみをタンクに入れて発酵させているので、一種類の菌だけではありませんが、木桶ほど発酵の順番がうまくは働かないので、味はまた違うものに仕上がります。

“海の精使用”吟醸純生しょうゆ

一番いい醤油を作りたいなと思って、酵母菌や乳酸菌の生きた生醤油に、10年くらい前から「海の精」を使い始めました。海水中の塩類を含んだ塩が何件かあるのは知っていましたが、その中で「海の精」が一番いいかなということで決めました。もっと前から「海の精」のことは知っていたということもありますが、他の塩でやろうとは思いませんでした。

いい醤油ができるだろうとは思いましたが、海外の天日塩で仕込むのと、発酵がこんなに違うのかとびっくりしました。最初の乳酸発酵が遅くて、色も黄色っぽくなるのです。それで他の味噌屋さんや漬物屋さんにも聞いたら、みんな理由はわからないのですが、同じみたいでした。海外の天日塩で仕込んだ木桶の熟成期間は1年から1年半。それが「海の精」だと2年以上かかります。発酵の時間が全然違うのもあって、おいしい、まろやかな醤油ができました。塩の違いはやっぱりありました。

「海の精」の塩の場合、1年だとまだすごくとげとげしくて。2年たってやっとまろやかになって、味がよくなります。海外の天日塩の方だと、2年たっても味は変わりませんが、酸化して色が黒くなるのと、香りが落ちちゃいます。完全に塩類組成(ミネラル)の影響だと思います。

ラーメン屋さんに愛される醤油

業務用のお客さんでは、ラーメン屋さんがけっこう多いです。しょっぱさとは関係ないのですが、うちの醤油は香りが強いから、ラーメン屋さんには向いていると言われます。味のパンチがきくようです。

醤油は、熱を加えることによってより醤油らしい、いい香りが出ます。もちろん好みですが、火入れ醤油は、工場の中で一番いい香りが出ます。その一番目に火を入れるのを、ラーメンのどんぶりの上でやりたいって言うラーメン屋さんがいて、そこでは生の醤油を使っていただいています。東京ラーメンストリートにもある「麺や 七彩(しちさい)」さんです。そこで修行された方は、生醤油を使ってくださっている方が他にもいらっしゃって、本当にありがたいです。

醤油のしぼり体験

醤油のしぼり体験。この“しぼりたての醤油”は、ここでしか味わうことができません。

醤油をより身近に慣れ親しんでもらうために、8年前から“しぼり体験”ができるようにしました。しぼりたての醤油を味わっていただくと、酵母菌にうま味があるので、だしが入っているのかと思われる方もいるくらいです。今では、お店の中だけでなく、代々木公園でやるアースデーやその他イベントなど、外でもやってもらっています。なかなかしぼり体験ができるところはないので、喜ばれます。ご家族だと、子供たちに醤油のことを勉強させたいと言われますし、特に喜んでもらっています。また年配の方だと、昔は自分の家で作っていた方も多いので、もろみを見ると懐かしいって喜ばれています。

醤油屋さんはあんまりきれいではないところも多く、見せたがるところはあまりありません。そこで、桶を移動して、建物も新しくして、醤油に関することを遊んで学べる空間「醤遊王国」というものを作りました。醤油をしぼる前のもろみが発酵・熟成されている様子を見たり、醤油のしぼりを体験ができます。工場見学は、醤油の原材料や作り方の説明から始まって、しぼり体験をしても30分くらいのコースで、今では年間4万人の方にお越しいただいています。売店や軽食コーナーを含めると、醤遊王国には年間8万人ほどのお客様がいらっしゃいます。

“ここでしか食べられないたまごかけごはん”

弓削多醤油の中でも、一番のおすすめ品は「純生しょうゆ」。熱殺菌、フィルターろ過せずに、木桶で仕込んだ醤油のもろみをしぼったままビン詰めしているので、酵母菌・乳酸菌・酵素が生きています。ほぼ醸造元の蔵でしか味わえなかった味が、市民団体の要望で平成15年に商品化されました。豊かな香りとふくよかな旨みで、通常の醤油のイメージとはだいぶ違うかもしれません。お刺身やごはんにかけて食べると、存分においしさを味わっていただけると思います。

醤遊王国の軽食コーナーでは、生の醤油がたまごかけごはんで食べられます。地元の採れたての卵に、その日のしぼりたての生醤油や蔵がおすすめする8種類の醤油の中から、お好みの醤油をかけて食べる“ここでしか食べられないたまごかけごはん”。うちの味噌で作った味噌汁と醤油のしぼりかすで漬けた自家製の漬物もついて、350円。それだけを食べにくるお客さんもいらっしゃったり、土日は夕方には売り切れてしまうこともあるほどです。

知ってもらうことに意味がある

醤油の使用量は40年前から減り続けていて、最高120万キロリットルだったころから4割も減って、今は80万キロを割っている状態。ここ10年が特にひどく、2割も減っています。日本の人口は、10年くらい前までは増え続けていたのが少し減ったくらい。一番の原因は、パンやパスタを食べる人が増えた和食離れです。あとは、高齢化が進んでいることもあって、塩分の取りすぎに気を付けましょうっていう流れもあると思います。この使用量は、つゆやドレッシングなどに使われる醤油も含めてなので、醤油だけで見たらもっと減っているということになります。

そんな中で、国産の原材料を使って、木桶でじっくり発酵させるという、醤油本来の作り方とか良さをずっと残していきたいと思っています。今では何でも装置産業で、食べ物も料理も簡単に作れるものが増えました。それはそれでいいかもしれませんが、醤油だったら、タンクを温めたり冷やしたりして短期間で作る速醸法ではなく、年間の四季の温暖の変化を利用した菌の発酵によって作る。本来のものを知ってもらって、その上で使ってもらう。ずっと使うのは難しいかもしれませんが、とりあえず知ってもらうということに意味があると思っています。

自分で醤油を作りたいっていう人とは増えているので、醤油づくりキットだったり、教室をやったりしたいです。醤油づくり教室を開くところもだいぶ増えてきています。うちは醤油屋ですけれど、これからは、“発酵食品の良さ”を伝えていきたいと思っています。

弓削多洋一(ゆげた よういち)プロフィール

大正12年に埼玉県坂戸市で創業した「弓削多醤油」の4代目。国産の丸大豆、小麦、海外の天日塩もしくは伝統海塩「海の精」を原料に、杉製の木桶で天然醸造の醤油を製造している(一部タンク仕込みあり)。酵母・乳酸菌が生きた生醤油、有機醤油の他にも、数々の醤油・醤油関連商品を製造販売している。

【お店】
醤遊王国

インタビュアー:下田ちひろ(海の精)