<1>「海の精 ほししお」の物語
海の精で最初につくられた「海の精 ほししお」。日本ではとても希少な天日海塩です。「海の精 あらしお」の“赤ラベル”に対して、“青ラベル”と呼ばれています。その誕生秘話と製法や開発研究の過程をご紹介します。
日本を思う出会いから生まれた天日海塩!
1971年(昭和46年)「塩業近代化臨時措置法」が成立し、日本から塩田が全廃され、国産塩はすべてほぼ純粋な塩化ナトリウムである“イオン交換塩”に切り替わりました。そして、そのことに強い疑問を抱いた人たちによって、塩運動が始まりました。
塩運動の第一弾として、塩専売法との妥協の産物ですが、“ニガリ再製塩”を開発しました。食用塩調査会(日本食用塩研究会の前身)の主任研究員をしていた谷克彦さんは、そのために必要な天然ニガリを探して奔走します。
ニガリの調達先を教えてくれたのが、その当時、すでに80歳を超えていた芝喜代二さんでした。芝さんは、戦前戦中の朝鮮や満州で天日製塩の指導をしていた製塩技術者で、その塩を日本に輸入した事業家でもありました。石油の高騰や枯渇を予測して、鎌倉の自宅の庭で、独り黙々と天日製塩装置の実験をしていました。損も得もなく、純真に日本の将来を思っての努力でした。
芝さんは、谷さんの塩への情熱や、日本人の健康を思う心を感じてか、ニガリ再製ではなく海水からの塩づくりを勧め、会って間もないにもかかわらず、大切な設計図面のすべてをくれたのです。
谷さんは、芝さんの話に大いに感銘を受け、自然の力だけでつくる天日海塩の方が、より体に良い塩になるんじゃないか! という発想を抱きます。また国産の天日海塩は前例がなく、実現できたら画期的なことです。研究者だった谷さんは、その点にも大いに興味を持ちます。
こうして、塩運動の第二弾として、天日海塩の開発に取り組みました。その後、専売公社へ試験生産の許可申請をするのですが、天日製塩はその研究テーマとしてもふさわしいものでした。
手作りで改良を重ねた製塩装置
何の資金もなかったので、まず伊豆と沖縄でのワークキャンプで実験をスタート。つぎに沖縄に一年ほど仮の研究所を設けましたが、支援者の多い東京に近い方がいいということもあり、縁をたどって伊豆大島に常設の製塩研究所を設置しました。こうして1976年(昭和51年)、本格的な天日製塩装置の開発が始まります。
最初は芝さんの装置をまねして、軽量ブロックを積み上げてタワーをつくり、そこに海水をくりかえし流して濃縮しました。
ところが大島は風が強いため、濃縮海水が風で飛散してロスが多い。タワーの周りに防風ネットを張ったところ、ネットを伝って流れる海水からの蒸発が結構よいことに気がついて、タワー式からネット式に切り替えました。
さらに研究を重ね、海水の流下媒体に遮光ネットを採用しました。材質はポリエチレンとポリプロピレンで、ともに成分は炭素と水素だけ。可塑剤などの有害な添加物は含まれていません。食品の製造や包装にも広く使われている、きわめて安全なプラスチックです。
塩田の形は、広い平地がなく風の強い大島なので、主に風を利用する立体型にしました。のちに、飛散海水の回収を兼ねた、主に太陽熱を利用する平面型の流下盤を付設し、結果的に、かつて瀬戸内海にあった枝条架流下式塩田を変形した“ネット架流下式塩田”になりました。
塩の結晶をつくる採塩工程は、当初は屋外に結晶箱を設置して実験していました。しかし、それだと塩に砂が入ってしまい、大島の砂は玄武岩で黒い色をしているから、とても目立つ。やはり囲いが必要だということで、最終的には本格的なガラス温室を建設しました。
結晶箱の材質には苦労しました。さまざまな材質で実験した上で、ステンレスを長く使っていましたが、いまはすべてチタン製です。チタンは全く腐食しないし、有害物も出ません。すごく高価ですが、半永久的な耐久性があるので、設備投資にはお金がかかりますが、長い目で見たら安上がりになります。
手間と時間が生み出す成分と味
イオン交換式以外の塩の成分と味が決まるのは、実は結晶の段階です。
天日海塩は、太陽や風の力で海水を蒸発しながら、時間をかけて結晶化しますが、ただ放っておくと主成分の塩化ナトリウムの結晶がどんどん成長して、その純度が高い大きな結晶になります。結晶には異なる成分を排除して成長する性質があるからです。これが海外の量産した天日海塩が、とても塩辛い理由です。
そこで日々攪拌することにしました。こうすることで、塩の結晶があまり大きくならず、結晶の中にもニガリ成分が含まれるようになります。手間と作業時間はかかりますが、塩類バランスが良く低純度な天日海塩ができます。
試験生産を始めて数年後には、冬の塩は苦くなりやすいということが分かりました。寒冷な気候になると結晶時の温度が低くなり、硫酸マグネシウムがより多く析出します。
硫酸マグネシウムは、単体でなめるとセンブリのような味で、深い苦味があります。だから多すぎると、苦めの味になります。逆に少なすぎると、力強さのない味になります。適度に含まれていると、味がしっかりして、塩味にコクが出ます。
ただし、これは塩粒を直接になめた場合のことで、料理に使って適度な濃度の塩味にした場合には、問題になりません。それでも最近は、11月から3月の寒い時季は採塩をしないことにして、この最終的な品質へのこだわりを達成しようとしています。
採塩を休む冬の時季には、一度採取した塩をまた干しています。二度干しすることで、さらにひと手間かかりますが、水分が減って扱いやすく安定した成分になります。
理想の塩を求めて40年!
生産塩からロットごとにサンプリングして、現在では社内で成分分析をしています。サンプルは長期保存し、何か問題が生じた場合には、さかのぼって調査できるように、品質管理を徹底しています。
海の精は、おいしくて健康によい塩とはどういうものなのか、ずっと追究してきました。そういう観点から、天日製塩の開発研究を続けて40年が経ちました。最初は何が良い品質なのかも分からない状態でしたが、試行錯誤をくりかえしながら、さまざまな資料を調べ、だんだんに経験を積んで、ついに狙った品質の塩を自在に作れるようになってきました。
現在では、品質的には完成の域に達しつつある、と言えるまでになりました。40年にわたる独自の研究成果が、天日海塩「海の精 ほししお」として実を結びつつあります。これだけ“手塩にかけた”天日海塩は、ほかにはないと自負しています。
【コラム】「ゲランドの塩」とのシンクロニシティ!
フランスのブルターニュでつくられている「ゲランドの塩」は、ヨーロッパ原住民の伝統製法と言われ、夏だけ生産される天日海塩。数多くの有名料理店で使われています。
千年以上の歴史がありますが、19世紀には衰退し、1968年にはリゾート開発計画で消滅の危機に。
当時、フランスでも学生運動が盛んで、資本主義を問い直し、“自然に還ろう”という思想運動が生まれました。学生の中にはゲランドの塩職人になる者が出てきて、塩田再興運動が始まります。フランスと日本、はからずも同時期に、天日海塩をテーマにした運動が展開されていたのです。