<6> 「海の精 紅玉梅干」の物語

海の精 紅玉梅干(国産有機)

「海の精 国産有機・紅玉梅干」120g 659円(税込)

今回取り上げるのは「海の精 国産有機・紅玉梅干」です。昔ながらの梅干づくりにこだわり、伝統海塩「海の精 あらしお(赤ラベル)」と国産有機栽培の梅とシソだけを使用した、海の精の大人気の定番商品です。「紅玉梅干」の生まれ故郷、奈良県五條市西吉野を訪ね、製造委託先の農業生産法人(有)王隠堂農園の王隠堂誠海(おういんどう まさみ)代表に「紅玉梅干」の誕生と、こだわりについて伺いました。

海の精(株)前代表 村上譲顕と王隠堂誠海代表との出会い

1975(昭和50)年から1977(昭和52)年ぐらいにかけて僕らは多くの皆さんと出会える機会があったんです。そのときに出会ったのは生協関係の人など、食の安全性を求めて運動をする人たちですね。そのときに、国産塩を守る会みたいな人たちとの出会いもあり、そのなかに村上さんがおられました。
<1976(昭和 51 )年には食用塩調査会 (のちの日本食用塩研究会)が伊豆大島に常設の製塩研究所として開設され、本格的な塩づくりの開発実験が始まりました>

頼まれて始めた梅干づくり

そんな中で、「梅干づくりをやってみないか」という話もあって、その一つが、今の生協ブランドみたいなものです。ほかには、「長い間、梅を漬けて置いといてくれへんか」と言う人たちもいてね。それから「この塩を使わへんか」みたいな人たちもおって。

その当時は、梅はいっぱいあったんですけど、国産のシソというのがほとんどなくて。それで、僕らは「ほな、梅も作るけど、シソも作ってやりましょうか」みたいなことで、やり始めたわけです。

作り方とか方法を全部公開して、手伝いに来てもらったときもありました。生産と消費側が、一緒に作っていくというのかな、そういう時代でした。僕らはその当時若かったですけども、生協関係の方々から「一緒にやれへん?」と言われて、梅干づくりをやり始めたのです。

有機農業の始まり

当時は栽培基準みたいなものがなく、そのときに言われていた農薬の使用基準の範囲もゆるく、要するに、ほとんどが毒性の強い農薬ばかりでした。

そのため、まずはそういった農薬を使わないで栽培をしてほしい、というのが一番最初の取り組みでした。そして、その中で、共感してくれた人たちが集まって、今の有機農業を始めるきっかけができたわけです。

「海の精 国産有機・紅玉梅干」の誕生

その頃に村上さんが来てくれたんですよ。もう何十年も前の話やな。

そのとき三つ頼まれたんです。畑の固定と、生産者や物流などのシステムといった生産基盤の固定、そして作り方も量産ではなく、丁寧に作ってほしいと。そんな話から、今の「紅玉梅干」が誕生しました。

特に海の精さんは、梅の栽培から梅干が出来るまでの工程についても他社さんとは違う形を望まれていました。僕らはそれを忠実にやったメーカーだと思います。依頼された会社さんと僕らとみんなで一緒になってやってきたことが、今現在自分たちがある姿になっています。

当初、自分たちは農業は生産さえ出来たらいいと思っていたので、工程の区分を分けて管理していくようなことに違和感がありました。でも、そうした取り組みが、われわれの地域の生産基盤を作ったんじゃないかと思っているんです。

今は農産物の出荷でも、この箱に入っているものは誰が作って、どこの畑で採れて、いつ荷造りされて、いつ出荷された、ということが判る仕組みになっています。

これからは地域の生産基盤として直接つながる、直接こうやるんや、一緒にやるんやみたいなことで、より一層強い関係をつくっていくことで、将来があるんじゃないかなと思います。

こういう時代になったから言えるのかもしれませんが、海の精さんとの出会いがあって、初めてそういう関係性にまで踏み込んでいけたんだな、と思っています。

本来の梅干の定義とは

僕らの梅干の基準は、水分率で言うたら75%ぐらい。現在、市場で一般的に売られているものは、大体85%ぐらいなんです。基本的に梅干の定義は、保存食品ですが、今の市場のものは保存食ではありません。昔の梅干の在り方、定義は保存食で、そのことをちゃんと守って作るには、やっぱり、よく干してシソを入れてちゃんと保存できるような形が一番いいじゃないかなと思います。

シソの赤は「日本のこころ」

今、シソは自分たちの仲間が広がったので地域も広がって、奈良、和歌山、三重、滋賀、愛媛で作っています。日本でシソを作っているのは、もちろん我々だけではありませんが、量は少ないと思います。

梅は、花が咲いた言うて、観光地へ行ったら梅がいっぱい咲いとるところが見えるけど、シソを作っとるところは見たことないやろう。

こりゃまたシソを語ったら、難しいところがあって。シソは全部先祖返りするんですよ。常に裏が青くて表が赤いものに返っていくんです。今年植えて、ええシソができたなと思って、その種を取って、次、植えたら裏が青くて表が赤いシソになる。要するに先祖に返ってしまう。古い時代のものに。

僕らは梅干を漬けるから、表も裏も赤のシソでないとあかんの。表裏が赤のシソ。要するにいっぱいシソを作った中で、表も赤、裏も赤のを選別するんです。

両方とも赤いシソというのは、勝手に生えているシソやったら、ほとんどない。だから種も自家採種して置いとかないけんの。何年も。

梅干の市場もね、シソを使ったものが一気に少なくなったの。それでシソの色の付かないものが主流になってきたわけや。あの梅干の赤い色は、日本のわびさびやもん。ほんまに心と一緒やで。

有機農産物の今とこれから

有機の農産物は、もう国産全体の0.2ぐらいのパーセンテージです。15年か10年前だったら、それでも、1%か2%はあったんやけど。

僕らも決して手をこまねいてるわけじゃなくて、いろんな農場に有機農産物を広げるアタックをしているんだけど、一番肝心な、作る人たちをどうやってまとめるかが、課題になってきます。地域を再生するには、時間がかかる。そんなに単純に行かない。新たな地域の在り方をもう一遍見直してつくり替えないと、次の10年向こうのことが出来ないと思っています。

昔ながらの梅干を継承

おばあちゃんや、そのまたおばあちゃんらが昔からこさえていたような梅干以外は作らないでおこう、と思っていて、時代変遷の中でも変わらないような作り方を目指しています。

シソを使わない梅干や、着色料を使った梅干が多くなってきたけど、本当にこだわっているところはそうじゃない。
海の精の「紅玉梅干」は普通の倍量のシソを使って、うちの伝統的な漬け方で梅とシソを交互に層にして漬けている。そうすると梅にシソの影響をより強く与え、色づきもよくなる。それだけ手間もかかるけど、それがうちの作り方。

日本の食べ物は、言い方をちょっと変えれば、自分たちの思いを食べてもらうものだと思っていて、そういう意味でも、シソには大きな価値があると僕らは思っています。

そういう昔ながらの作り方の梅干を食べたら、健康にもいいし、そういうものをずっと継承して行きたいと思っています。