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「海の精」誕生物語
〜 自然海塩「海の精」は自然塩復活運動によって生まれた 〜
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塩には波乱万丈の歴史があります。日本で塩が自由に選べるようになったのは近年、1997年になってからのこと。塩は、人間の血液や体液にも含まれ、生きていくうえで欠かせない存在である一方、国の財政確保のために専売制の対象とされてきました。自由に塩を製造・販売することができなかった厳しい専売制のもと、自然塩復活運動によって生まれた自然海塩は2007年で誕生から30周年を迎えます。ようやく塩の専売法が廃止され、自由に選べる時代になったからこそ知っていただきたい自然塩復活までの物語。 |
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| ●序章 < 塩の専売制とは > |
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昔から、塩は世界各国で課税や専売の対象となってきました。日本では1905(明治38)年、日露戦争の財源確保や製塩のコストダウンを目的に専売制がはじまりました。塩は国が管理する公益専売となり、自由に製造・販売ができないものとなったのです。この制度は1997年に廃止を迎えるまで、約1世紀もの間続きました。 |
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| ●第1章 < 塩田が消え日本の塩づくりが工業的に > |
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専売制の施行から時が進むにつれて、人口増加や工業の発展に伴い塩の需要はますます高まっていきます。安価な輸入塩に対抗するために製塩のコスト削減や効率化が進められ、1971(昭和46)年についに塩業近代化臨時措置法によって、日本の塩はイオン交換膜法という工業的な製法へと全面的に切り替えられてしまいました。製法の切り替えとともに、有史より受け継がれてきた日本伝統の塩田は全て廃止され、昔ながらの製塩法は姿を消したのです。 |
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| ●第2章 < 健康が危機にさらされる > |
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イオン交換膜法でつくられた「食塩」は、成分の99%以上が塩化ナトリウム。つまり人間の体が必要とする他のミネラルが残らずそぎ落とされてしまったものです。一方、伝統の塩田を使ってつくられたかつての日本の塩は、塩化ナトリウム以外にニガリ成分を残し、マグネシウムやカルシウム、カリウムなどのミネラルも含んでいました。そもそも人間の血液や体液はさまざまなミネラルを含んだ水分です。その成分は海水に似ていて、塩を摂ることによってもミネラルを体内に取り込んできました。少数の人々は“食用の塩が純度の高い塩化ナトリウムになることが、健康に危機を及ぼす”と事の重大性に気づき、世の中に訴えるべく塩田存続の署名運動を行いました。 |
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| ●第3章 < 自然塩復活運動はじまる > |
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食養療法などを通じて塩と健康のつながりを理解していた人々は、医学博士や理学博士を交えて“食用塩調査会”というグループを結成しました。塩の違いや生物への影響などを研究し、塩問題の調査を行ったのです。この結果、自然塩の必要性が浮き彫りになり自然塩復活運動がはじまりました。専売制の制限のもと、まずは再製自然塩がつくられました。これは法律で特殊用塩として許可を得たもので、塩化ナトリウムの純度の高い輸入塩にニガリを加えて溶解し、平釜で煮つめて再結晶させた塩です。ニガリを加えることで、塩化ナトリウムの比率は下がり、イオン交換膜法の塩に比べて自然塩の成分に近づきました。この再製自然塩は、専売塩との違いを示す商品として世の中に広まっていきました。
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| ●最終章 < 自然塩の復活 「海の精」の誕生 > |
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市場にも自然志向・健康志向が広がり、再製自然塩は浸透していきました。しかしながら、やはり海水から直接つくられ、ニガリ成分を含んだ自然塩が復活してこそ運動の目的達成です。専売制の壁に阻まれながらも、有志による伊豆大島での自然製塩法の研究がはじまりました。設備も手づくりでまかない、試行錯誤の連続でした。その後、“日本食用塩研究会”が発足し、試験製塩という名目で許可を得て伊豆大島の地で製塩を繰り返していきます。海水を太陽熱と風の力で濃縮する“塩田”は、タワー式からネット式へと改良を重ねていきました。こうして、塩田を使って海水を濃縮し、釜で煮つめて結晶化した自然塩が生まれました。日本人が伝統的に食べてきた昔ながらの自然海塩がようやく復活したのです。母なる海のエキスという意を込めて「海の精」と名づけられました。
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| 試験生産という形で認められた「海の精」は、1997年に専売制が廃止されるまで会員配布という形で広まりました。専売廃止と同時に、日本食用塩研究会の事業法人として海の精株式会社が誕生し、自然海塩「海の精」は現在のように一般流通するまでに至りました。 |
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